そこに愛はあるのか?と言いたくなる事
アメブロの2019年10月26日の記事と重複します。
1 とある男性と彼女の話
先日、とある知人から、それまで異性の影がなかった男性研究者に彼女ができたという話を聞きました。客観的に彼を見ていますと、彼は人と一緒に何かをするタイプではなく、人より物に意識が向くタイプです。あまり女性に気の利いた事を言ったり行ったりできるようには見えません。むしろ、仕事が忙しければ、仕事が人生の全てとなってしまうようなタイプです。彼より年上だったり、世話好きな女性であれば、母性本能がくすぐられるタイプで、釣り合いがとれているのかもしれませんが。
上記の話を聞いて、私が思った事は「人が嫌いな方であり、近寄りがたいオーラを出す彼に、なぜいきなり彼女ができたのか」という事でした。
占術の世界から見れば、まあそういう星の配置であったのでしょうし、もっと広い精神世界の観点からなら、やはり起こるべくして起こったという回答になるのでしょう。
最近、彼に起こった事といえば、職階が昇進し、当然金銭的な待遇が上がった事でしょうか。それに気づいた私は少し違和感を感じました。
2 とある女性研究者とファッションデザイナーの言葉と私が思う事
まず、最初にこれが全ての結論でないという事を言っておきますが、上記のような事に出くわした時に私が思うものは小倉千加子先生(女性学研究者)とココ・シャネルの言葉です。
私は正直なところ、男性に経済力があるからという理由だけで、その人の側にいようとは思いません。人間的に「好き」であるという感情がないと無理な人間ですし、もっとはっきり言うと、相手の貴重な人生の時間をもらう事もあるわけですから、いい加減な気持ちで接したら失礼になるのではとも思ってしまいます。
(1)小倉千加子先生の『結婚の条件』(朝日新聞社)から
一部の女性にとっては「純愛の消滅」し、とそういった彼女たちにとっての結婚とは「生存」→「依存」→「保存」である事なのかもしれません。
前提として、昔よりも賃金格差は狭まったとはいえ、やはり男女では賃金格差はあるものです。さらに性別だけでなく職業によっても格差はありますね。
小倉先生は(1)女性は男性に経済力を求め、男性は女性に容姿の美しさ(個人にとっての)を求める事と、(2)女性の結婚は学歴によって意味が異なり、もっと細分化する事ができると言っています。
まず(1)については、女性の中には確かに男性に経済力を求めるケースがあります。また、そういった経済力をもっている男性に愛された(?)自分は尊い存在であると男性をアクセサリーのように見せびらかす人はいると感じています。一方、男性は女性に「容姿の美しさを求める」ですが、容姿の美しさは人それぞれの基準があるので一律ではないと感じています。
むしろ、私の中では男性は女性に「第2の母」を求める人が多く、また家というものに依存するタイプの男性では、プラスして女性に「妊孕力」を求めるのではないかと思っています。この「第2の母」は、男性の年齢があがると「介護保険料がいらない私的ヘルパー」にかわったりするかもしれません。また「妊孕力」については、どんなに年齢が若かろうが、持病がなかろうが、高額な不妊治療をしようが、もはや人間の力ではどうにもなるものでもないものであると思います。聖人に近い行いをしようが、実子を持つという課題がない人には実子は出てこないのですから。所詮、人の命に関する事は決まっています。
(2)については、高学歴=高収入ではないので、これは学歴というよりも収入の方にベクトルが置かれるのではないのかと思います。究極的に言えば、愛はなくても自分が生きるために結婚する(生存)・自分が自分であるために結婚する(自己実現)という事ですよね。小倉先生は「生存」→「依存」→「保存」の過程を細分化して、「両立コース」(生活のための共働き)・「一時的依存コース」(育児の間は夫が稼ぐ)・「依存コース」(ずっと☆☆☆割ならぬずっと専業主婦)・「依存プラス自己実現コース」(育児後は自己実現のために就労をする)とも言っています。私はここまでシビアに思っていませんが、そういう人がいる事は否定しません。
しかし、専業主婦は本人と周囲の人間の金銭感覚がおかしい(貯金・節約って何ですか?レベル)と、依存どころか世界一危険な家業である気がします。
今は、恋愛が先にある場合が多いので、当然、恋愛の段階から戦略ありきなんでしょうね。戦略なくして成功はなく、戦略がなくてどうにかなる人は先天運に恵まれているのでしょうが、人間関係においてはあまりに露骨すぎるのはいかがなものでしょうか。
(2)ココ・シャネルの言葉から
シャネルは名言を数多く残している人ですが、もうこの言葉しか浮かびません。。
「男を獲物として見る女が多いのには驚かされる。私は男を罠にかけるようなことはしない。」
シャネルの言葉からは、「結婚は純粋なものである」という思いが伝わってきます。彼女は好きな男性がいたものの、いつも最後の最後で縁がなく生涯独身でした。まさに孤高の女王です。そういう彼女が言うからこそ、この言葉には重みがあります。
「男を獲物として見る女が多い」とは、まさにそれまで見向きもしなかった相手が、経済力をつけたとたんに群がって結婚する女性が多いという事です。そういう場合は、人間としての男性が好きであるというよりも、男性がもっている財産が好きだという事になります。という事は、何らかの事情で財産がなくなってしまったら、金銭だけの間柄なら女性は離れていくのでしょう。「金の切れ目が縁の切れ目」とはこの事です。そして財産がなくなったとたん、女性が離れていく事に怒り狂う男性は、相手がそういう女性である事を見抜けなかったのでしょうね。
これは逆もまたしかりです。男性の側も女性を「第2の母」+「妊孕力」だけで見ていたとしたら、女性が病気になって自分の面倒をみてくれなくなった・子どもが産めなかったとなればお払い箱にしてしまうのでしょう。そして、そういった男性の仕打ちに怒る女性は、男性の人間性を見抜けなかったという事になります。
これらに共通する事は、こういった感情を優先してパートナーシップを結ぶ人は、「自分が可愛すぎる人間で、他人は自分のためにあると思っている人間」であるという事になるのでしょうね。
3 そこに愛はあるのか?
小倉先生とシャネルの言葉はかなり強烈ですが、要は「あの人が好きで一緒にいたいから結婚する」という単純なタイプの結婚というものは案外ないのだという事です。ある時は家の存続のために、ある時は生きるために結婚する-結婚やパートナーシップとは一体何なのでしょうね。
恋愛と結婚はつながりはあっても別物だと思います。結婚(それに準じるパートナーシップも含む)というレベルまでいく2人は、やはり因縁に近い宿命的なものがあるのでしょう。資本主義の社会で生きるには確かに経済力があるという事は大切ですが、人間関係において、あまりに損得に対して露骨すぎるなのは哀しいものがあります。綺麗事かもしれませんが、特に結婚・それに準じるパートナーシップ・友情のような普通よりも段階が上の感情においては、自分の思いや人間としての相手といった純粋さを残しておいてもよいのだと思います。
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