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神様にお願いをすること-その先にある社会貢献と才能・特技

※2022年1月5日に「ローザのまるごとこの世を楽しむブログ」に掲載された記事です。

上記の写真は、ドクターコパさんのビルの屋上にある三宅宮です。

http://copa.jp/miyakenomiya/

以前、

ご自宅にあった三宅宮、

銀座にある風水ショップに

お邪魔したことがある、

ドクター・コパさんのお話です。

1月3日に開催された祈願祭で、

皆様にお話をされた内容で、

1 夢や祈願内容は自分の弱点である

2 祈願内容は神様との約束である


ということでした。

確かにコパさんがおっしゃるように、

1については、

そもそも人間がなぜ神様にお願いをするのか

という原点に立ち帰る問いであるとも

言えます。

自分ができることや、

得意なことであれば、

神様に願わなくてもできているわけです。

現状でできていないであり、

自力では心もとないので、

神様にお願いをするということです。

2については、

これは精神世界系の方や

古神道の神官さんが

おっしゃっていましたが、

お願いをする時は、

自分が取り組むことを

神様と約束をすることが

大切であるとのことです。

これは様々な考えがありますが、

神様は願いを叶えた人間に、

その叶えたことを使って

社会に貢献してほしいのであると

思うのです。

それがある意味、

その人の課題につながることで

あるとも言えます。

個々の才能や特技も同じで

あると思います。

ただ、

やみくもにその人に

与えたのではなく、

それを使って(自分も含めて)

多くの人を幸せにしてくださいという意味が

こめられたプレゼントではないかと

思います。

勉強ができる、

スポーツができる、

人を笑顔にできるのは、

別にその人に

優越感をもたせるために

与えたのではないと思います。

万能に近いくらいに

なんでも器用にそつなく

こなすタイプであるなら、

器用貧乏になるのではなく、

ある意味、マルチなタイプとして、

人や社会に貢献するという願いが

こめられていると思います。

できることがたくさんあるのですから。

最後に、リブログから

コパさんの言葉から引用します。

「夢が叶うのは

こちらが祈願を叶える努力を

約束し、実行するからです。

若いころの夢に

今年は、再挑戦します。

夢を叶える努力に

遅すぎることは無いのです。

「It is never too late to become what you might have been.」

なりたかった自分になるのに、

遅すぎると言うことはない

(イギリスの女流作家

ジョージ・エリオットの言葉)や

「E' meglio tardi che mai」

やらないより、遅くなってもやる方がいい

というイタリアのことわざに通じます。

せっかくこの人間で生きる最初で最後のチャンスですから、

「夢は叶わない」と勝手に思っていても、案外、ひょんなことから叶うのが夢ですし、本来、あまりに荒唐無稽すぎる夢を人間は抱きにくいとされています。

つまり、頭に思った段階で、叶う可能性が十分にあるということです。

想念が形になりやすい流れになってきている今ですから、できることはとりあえずやってみることも、時にはよいと思います。

どんなに大変なものであっても、その人に必要なことは必ず起こります。

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