縁は不思議なものであること~「いすのき」から始まる「ひょん」と「災い転じて福となす」こと

 2020年5月19日にアメブロに投稿した記事です。

縁は不思議なものであること~「いすのき」から始まる「ひょん」と「災い転じて福となす」こと

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1 「いすのき」から始まる「ひょん」

 予想外なことがおこることを「ひょんなことがおこる」と言います。

 そもそも「ひょん」とは何だろうと思ったので、さっそく『日本国語大辞典』第11巻(小学館、第2版、2001年)を調べてみたところ、「ひょん」そのものは名詞で植物の「いすのき」をさすそうです。何と『日葡辞書』にも出ている言葉であり、それによれば、「Fion(ヒョン)〈訳〉山に生える木の一種で、小型の瓜に似た野生の実をつけるもの。また、その実」(上記の辞典、569ページ)とのことです。

 それではこれが「ひょんなことの『ひょん』をさすのか」というと、同じページには形容動詞の「ひょん」と連体の「ひょん-な」という言葉があり、この形容動詞の「ひょん」にヒントがあるようです。形容動詞の「ひょん」の意味は、「服装や態度が、奇異で突飛なさま」であり、これに「な」がつき、連体の「ひょんな」の形で、「予期に反して不都合なこと、異様なことについていう。思いがけない。意外な。また、妙な」とありました。 

 初出文献は『日葡辞書』です。「Fionna(ヒョンナ)コトヲ ユウ、またはスル」です。まだ、この段階で「ひょん」という「いすのき」とつながりませんが、同じく15世紀に書かれた『かた言』に興味深い記述があります。この『かた言』は、慶安3(1650)年に安原貞室という俳人松永貞徳の弟子により、子どもの教育のために書かれたもので、主に京都の子どもが使っている言葉について扱っています。


 『日本国語大辞典』に引用されている『かた言』をそのまま引用しますと、「ひょんなことといふを、ひょがいなこと、ひょうげたことなどいふは如何と云り。是はひょんといふ木の実の、えもしれぬ物なるよりいへること葉歟。又瓢のなりのおかしう侍るより、しれぬことの上になぞらへて、ひょうげたことと云初たるか。又は、へんなことと云こと歟」と、ここで植物の「ひょん」が登場します。

  つまり、植物の「ひょん」(=いすのき)→形容しがたいものから言う言葉かということですね。


いすのきの写真(松江の花図鑑さん)

中央がいすのきに実がなっている様子です。1番右側が虫こぶで、中に虫が卵を産んだものです。イスノキエダナガタマフシです。

 
https://matsue-hana.com/hana/isunoki.html


2 ひょん=ヤドリギ説

 
 実は、「ひょん」とはヤドリギのことをさすとネットで見たことがあるのですが、『日本国語大辞典』には出ていなかったですね。
 「ひょん-の-き」という名詞も出ていますが(570ページ)、いすのきの別名だと書いてあります。いずれにしても、形容しがたい・奇異で突飛であるということからも、イレギュラーなものをさし、そこから既定路線のように決まっていないものをさすというようになっていったという推測ができます。

 ちなみに私が気になっているヤドリギが1つあります。たまたま冬に通りかかった時に発見した、東京都八王子市の北野天満神社にあるご神木です。全て葉が落ちてしまっているケヤキの木の上のあたりに、大きなマリモのような緑色のかたまりがからみついていたのです。京王線の電車の中からですので、本当に朝日新聞デジタルに出ているような写真のアングルであり、下からの様子はよくわかりませんでした。

所在地:八王子市北野町284番地 北野天満神社

朝日新聞デジタル

https://www.asahi.com/articles/ASM9N3TFVM9NUTIL010.html

3 災い転じて福となす&人の縁は不思議である

 「ひょん」という言葉に関しては、その後に続く文章にもよりますが、私の中での語感では、「お願い事はひょんな事から叶う」のように明るいイメージで使うという印象があります。予想外の幸運をあらわす時に言いますよね。

 世の中には、実際、一見トラブルに見えるような事であっても幸運に転ぶこともあります。私が好きな言葉の1つである、災い転じて福となすのようにです。

 人間関係を見てみても、本当に災いとしか思えない事が思わぬ方向へ進む糸口になっています。

 今というか10数年前から好きな人こと親愛なる知人との出会いなど、本当にそのとおりです。通常ならば、まず出会う事はほぼ不可能でしょう。出身の都道府県も年齢も異なりますし、他に接点が全くないのですから。

 以下に私の個人的な事を書きますが・・・。

 センターの日に高熱を出して、テストに失敗し第一志望の大学に行けない(あらゆる占術に出ていますが大学入試は散々でした)→途中で専攻をかえる→4月になって指導教授の先生が国内留学に急遽行く事になり、別の専攻の先生に指導してもらう→そこの研究室で今の好きな人に出会う・・・。

 正直、他の専攻の研究室に預けられると知った時は結構ショックでした。結構なレベルの災いであったと、当時の私は記憶しています。私は指導教授の先生の事を高校生の時にテレビで見て、いつかこの先生のお話を聞いてみたいと思ったのですから。しかし、皮肉にもこの事がなければ、今、好きな人とは出会っておらず、この時の人脈が今につながっているのです。

 前にも書きましたが、実は出会いについては大学1年生の時のサークル(音楽系)見学で、ニアミスをしています。たまたま自分が遅い時間の授業がある日に、入りたいと思っていたサークルの部室見学をさせていただける事になり、友人がバイトの日でだったので、1人で行きました。しかし、部長の女性から言われたひとことが衝撃でした。彼女は、部室の入口に来た私にいきなり「ローザさん、せっかく来てもらったのにごめんね。ローザさんは〇〇志望だったと聞いているけど、急に〇〇をやっているメンバーが来られなくなってしまって。でも、☆☆☆のメンバーは全員いるから、よかったら1曲聞いていって」と言い、ある意味では半強制的な変更でアクシデントでしたが、これも良い機会であると思って部室に入れていただいたのです。

 この音楽系サークルでは、3つの楽器を扱っていました。楽器によって練習日(週2回)が分かれており、例えばAという楽器は月・水、Bという楽器は火・金のように予定が組まれていたのです。基本的には部室が狭かったので、楽器同士がかぶることはなかったのです。演奏会の前のみ、土曜日の午後に体育館で合同練習という形になっていました。その日は私が志望していた楽器の練習日だったので、本来ならば、その楽器の人しかいないはずだったのです。そう思うと、別の楽器のメンバーが全員集まっていたというのも不思議と言えば不思議なことです。

 部室の中では、10人くらいの人々が楽器を手にして円形に座っており、私は軽く自己紹介をすると、その外側に座らせてもらって見学をさせていただいたわけです。その時点で名前がわかっていたのは、部長の女性のみで、他のメンバーは全く名前も知りません。結局、私は別に考えていたサークル(芸道系)の練習日程とかぶることで、その音楽系サークルには入らなかったのです。今となっては、入っていたら一体どうなっていたのでしょうね。

 ちなみに別の専攻の先生の研究室に初めてうかがった際に、今の好きな人の印象ですが、私の最初の印象は「ああ、パンフレットに出ていた人で、〇〇の研究をしている人だ」でした。この時点では4年前にニアミスしていたことはお互い知らず、それを知ったのは昨年の6月でした。つまり、お互いの名前を知る形で会ってから12年です・・・。たまたま習った事がある楽器の話になり、そこからこの音楽系サークルの話になったのですが、思わず「えーっあの輪の中にいたんですか!」という言葉が飛び出しました。このことは、本当に2人とも驚きました。

 つまり、災いというか2つのアクシデントが思わぬ方向へ進んだわけです。

 人の縁は不思議ですし、こう考えるとひょんなことはあるのだと思います。そういうことからも、人・物問わず、せっかくできた縁は大切にしなければならないと思えてなりません。出会えた事に心から感謝ですね。

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