(Un)official日報 #9 凡庸を愛す

普通でありたい。

俺は昔からそう思っているのだけど、どうにも周りからちょっとズレている感覚は持っている。

小中はアメリカにいて、Japaneseだからと特別扱いされるときもあれば、めちゃめちゃに差別されたりもした。周りはクリスチャンだらけの環境なのに、俺はキリスト教徒でもない。とにかく浮いていた。

日本に帰ってきたら帰ってきたで、帰国子女は浮く。日本で普通に経験するあれこれを、バックグラウンドとして持っていないのだから当然だ。つらかった。

いつしか「浮く」というそのものに、価値を見出すようになった。まわりと違う、ということは特別なことなんだと認識を変える事で、なんとかメンタルを保っていた。

それでも周りと同じ、普通でありたいという憧れは消えない。

凡庸の影

最近、あ〜自分凡庸だ、、と思う時がある。

例えば、職場で昨日のプロ野球の結果の話で盛り上がるとき。結婚できない男を楽しみにして、帰路をうきうきで帰るとき。バチェラーを見ながらあーだこーだ言っているとき。俺は中川さん推しである。

とっても凡庸で普通だ。掃いて捨てるほどいるサラリーマンの日常。

尖って、まわりと違うことに価値を見出していた自分もいる。そういう部分は物足りなさを覚える。逆に、普通に憧れる自分は、ああ、これでいいのだと安心しきる。

俺はこの凡庸さを愛したい。社会の中の何者でもないワンオブゼムであることを受け入れたい。

結局俺はどこかコミュニティに属すことに飢えているのだ。願わくば、フツーの日本人というコミュニティに。今はもう立派な、普通の若いペーペーのサラリーマンである。そのコミュニティのワンオブゼムな自信がある。

ワンオブゼムでありながら、「変」で「浮いてる」自己主張をしたい自分と共存しながら今日も毎日戦うのである。

普通のコミュニティで受け入れられる、自分なりのアウトプットをしていこう。そして、最終的には俺が普通を作ってやる。そんなくらいの気持ちで生きている。

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