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【ミャンマー発】過ぎた時代を乗せて走る旧車両ーミャンマー・ヤンゴンー

「アジア最後のフロンティア・ミャンマー」

そう呼ばれていたのがもう遥か昔のように感じます。2021年のクーデターに端を発した国情不安により、大都市ヤンゴンや第二都市マンダレーの様子も一変したと言います。

そんなミャンマーのクーデター直前まで折があればヤンゴンへ行き、日本車のバスや電車を興味深く調べていました。2020年を最後に向かうことができませんが、確かにそこにあったヤンゴン中央駅とその場所を走り続ける日本車輌に思いを馳せてみたいと思います。

2020年のヤンゴン駅前。バスにラッピングがされてしまっていた。
2013年のヤンゴン中央駅。
民族衣裳を着ながらあるく人も多くいた。

◎旧首都に建つ駅舎
ヤンゴン中央駅は各地に繋がるミャンマーの鉄道網の中心として、今でも重要な役割を果たしています。2010年代には、駅の近代化と改修が行われ、機能的な駅へと進化しました。

駅舎の中は閑散としている

1877年最初の駅が設置されるのを皮切りにビルマの鉄道網が引かれていくことになります。当時の駅舎は、現在の駅とは異なる場所に位置しており、ヤンゴンからピーまでの駅をつなぐものとして運行を始めたそうです。

遠距離便は窓口での購入。便の割には人が少ない

購入してくる人はまばらで、本当の時々だけ窓口に来る人の姿が見えます。なお、ヤンゴン環状線(別稿にて記載)はホーム上のチケット売り場で購入します。

ホーム上には列車を待つ人と
ただ休憩している人が入り交じる

このヤンゴン中央駅も第二次世界大戦中には日本軍の攻撃目標となり、大きな被害を受けました。戦後、1947年に伝統的なビルマ様式を取り入れた現在の駅舎を建設開始、1954年6月5日、新しいヤンゴン中央駅が開業しました。

実は縦揺れがすごいミャンマー鉄道。
見た目は綺麗に保持されているようだが…

駅は、仏塔を思わせる4つの尖塔を持つ3階建ての立派な建物となっており、また一方で人々が集まる憩いの場でもありました。停車している列車に乗り込み昼寝をする人、車内で売り付けるのか大量の商品を持った人、それぞれが駅という場の中で、まるで自分の部屋で自分だけの時間を過ごしているようにしていました。

長距離便発車時間間近になると人も多くなる
水汲み場でペットボトルに水をくむ

◎駅にたたずむ懐かしい日本の列車
そんな中、ヤンゴン駅のホームに停まっていたのはキハ40系でした。国鉄分割民営化後も、JR各社に引き継がれて使用されてきた著名な車輌です。

悠然と佇むキハ40。
堂々とした姿に感動すら覚える

日本では鉄道博物館や各地の保存施設で保存されていますが、一部の車両は、ミャンマーやフィリピンなど海外に譲渡され、現役の実車車両として第二の人生を送っているのです。

アナログの方向幕も美濃太田のまま。
岐阜に来たのか私は

ホームではJR太多線「多治見ー美濃太田」の方向幕をかかげたまま、かつての日を語りかけていました。まだまだ現役で走る車両はミャンマーの町にも強く息づいていました。

JR太多線も全線が単線で、非電化区間となっていますが、車両にとってはどちらもかわらないのでしょうか。

狭軌を使うミャンマーの鉄道。正直あわないくらい大きい車両も走っている。大丈夫?

多くの日本車の夢を現在も乗せて走っているミャンマー・ヤンゴン。現在の様子はどうのっているのでしょうか。早くもう一度その姿を見に行きたい…この写真を見るたびにそう想わずにはいられないのです。

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