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【中国発】「大明寺」鑑真和上の足跡を歩く ー江蘇省・揚州市ー
江蘇省は広い。
上海市を出るとすぐに江蘇省に入るので、学生時代初めて行ったときにはその周辺だけが江蘇省だと思っていました。
ところが実際に地図を見て、また行ってみると江蘇省はとても広大で有名都市が盛りだくさん。
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最初は西に進んだ江南ばかりを行っていたから東西に対しては長いなぁとは思ってはいたものの、北を見ると実は山東省と境を隔てています。
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特に長江の南は江南、北は江北と呼ばれ、距離はさほど遠くないのに、同じ江蘇省でも「話し方も気質もまるで異なる!」と現地の人が話すほど雰囲気が変わるとされています。
今回はそうした江蘇省の江南・鎮江から、鑑真のふるさと江北・揚州へと向かい、その鑑真ゆかりの寺「大明寺(だいみょうじ・Da4ming2si4)」をご紹介します✨
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◎バスに乗って長江越え
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江南の都市・鎮江からは40キロのバス旅。
長江は何度も見たもののそういやあまり越えていないな…と感慨深く外を見ていたのに、なんだかガスっててあまり見えなかったのが残念でした…。
途中鎮江南の高速鉄道駅にも止まりつつ、約一時間で揚州西バスターミナルに到着します。
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揚州には痩西湖、大明寺、個園、何園など多くの名跡、スポットが存在しています。
すぐ西バスターミナルからすぐ横には市バスターミナルが併設されており、これら観光スポットを網羅している旅游専線バスが重宝します。
◎歴史都市・揚州
揚州は古代には「楊州」と書かれ、漢代には中国の13州の一つとして重要な役割を果たしました。隋唐時代には大運河の開通により水上交通の要衝となり、経済・文化が大きく発展していきました。
その中のひとつ大明寺は、バスターミナルからバスで20分ちょっと。バス停を降りて坂を少し上っていくと入口の門が見えてきます。
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◎鑑真出発の地
大明寺はかの有名な日本に仏教を伝えた鑑真和上が住職を務めた寺として知られています。何度も渡航に失敗し、失明するまでに至りますが、度重なる努力ののち、日本への渡航を果たすことになりました。
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寺伝によると大明寺は、南朝の宋の大明年間(5世紀半ば)には創建されたと伝えられています。
当初は「法浄寺」と呼ばれていましたが、後に「大明寺」に改称されるとともに、隋唐時代には、大運河の開通により水上交通の要衝となり、経済・文化が発展した揚州において、大明寺もまた発展を遂げました。
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立派な本堂である大雄宝殿。
大明寺の境内には、天王殿、大雄宝殿などの伽藍のほか、鑑真和上を記念する鑑真記念堂があります。
鑑真記念堂には鑑真像が安置されており、唐招提寺の金堂を模して建てられたもので、唐代の建築様式を今に伝えています。
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日中友好を謳った第一次安倍首相と温家宝首相の記事も展示されていました。
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石碑には郭沫若の筆が書かれています。
郭沫若は中国近代文学の発展に大きく貢献した人物として評価されています。彼の筆が残されているものは多く、中国を旅で廻っていると本当によく見ます。
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寺内には鑑真の業績が称えられた場所が数多く存在します。688年にこの地で生まれた鑑真は14歳で出家し、仏教を学び始めたと言います。
鑑真は、長安や洛陽で戒律に関する教理を深く学び、南山律宗の継承者として活躍しました。生涯の中で多くの弟子を育成し、「江淮化主」と尊敬されるようになりました。
742年、日本の遣唐使によって日本への渡航を要請された鑑真は、仏法を東に伝えるという使命感から渡日を決意。しかし、渡航は困難を極め、5度の失敗を経て、6度目にしてようやく753年に日本に到着したことは多くの人の知るところです。目を失った鑑真はすでに66歳でした。
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日本に到着した鑑真は、東大寺で聖武天皇や孝謙天皇に戒律を授けます。その後、唐招提寺を建立し、多くの弟子を育成するとともに、日本に戒律だけでなく、仏教の教えや当時の中国の進んだ文化も伝えたのです。
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鑑真は、76歳で唐招提寺で亡くなるまで仏教の教えや文化を伝え、日本の文化発展にも寄与しました。
鑑真は、日本に戒律を正式に伝え、日本の仏教界の基礎を築いたことは、その生涯を通じて、使命を貫くことの尊さを教えてくれます。
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大明寺で鑑真はどのような心で修行に明け暮れていたのでしょうか。この境内を見ても、また唐招提寺を見ても、少なくともその教えには今でも生き続いている…そう感じずにはいれないのです。
歴史深き揚州…多くの見所がこの町には存在しています。
《行き方》
揚州西バスターミナルより旅游専線にて大明寺下車すぐ。
《関連・唐招提寺》
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