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【台湾発】台鐵旧駅ノスタルジア② 威風堂々たる風格ー台中駅(台中市)ー

近年、清朝から日本統治時代に発展した台湾国鉄である台鐵ですが、老朽化などの原因により多くの駅で建て替えが進められています。

今回は台湾中部の重要都市・台中の台中駅の過去から現在をご覧いただきます。


台中駅は、台湾中部の交通要衝であり、台湾鉄道の主要駅の一つです。その歴史は、日本統治時代の1905年にまで遡ります。


◎初期の台中駅
清朝による鉄道敷設がはじまったのち、日本統治時代を迎えた1905年、初代の木造駅舎が建設されました。そののち1917年には手狭になったため、赤レンガ造りの2代目駅舎に建てられることになりました。

この駅舎は、東京駅の設計者としても知られる辰野金吾の様式を取り入れたもので、台湾の鉄道建築の傑作として知られています。

「台」の字が省略されている時代
繁体字である「臺」が使用されている時代

◎台湾鉄道の発展と台中駅
その直後1908年には台湾西部縦貫線が全線開通し、台中駅は中部の中心駅としての役割を担うようになります。その後の地震などの発生で被害を受けることもありましたが、都度修復され、その姿を保っていたと言います。

1979年、台湾西部幹線が電化され、台北と高雄を相互に媒介する移動の中心地として台中駅の利便性も向上することになります。

多くの人々が駅を利用することになり、また同時に東南アジアからの移民やその家族なども台中・彰化などに多く住むようになりました。

台中駅の歴史は、台湾の近代史と深く結びついており、その変遷は台湾の発展を物語っていると言えます。

味があったホームと線路

外観の立派な駅舎と、どこか懐かしい雰囲気の漂うホームは旅の中の癒しであったことを思い出します。

台中名物の太陽餅の売り場や弁当屋がホームに出店していたり、駅裏側の生活感溢れる道があったりと、完全に人々の「生活」に溶け込んだ存在としてその姿があったのです。

旧駅時代にはホーム上で買い物もできた
駅の後方出口。大都市と思えない落ち着いた雰囲気が良かった
ターミナル駅とは思えない雰囲気のある出口が良かったのだが

◎第一次改期 ホーム高架化と新駅舎の建設
その後駅は大きな変化の波に呑まれていくことになります。駅の後方に近代建築による大きな駅舎が作られていき、2016年には台中駅周辺の再開発に伴い、高架化された新駅舎が完成しました。

後方に完成間近の新駅があるころ。かなりぎりぎりまでホームは運用していた

◎移転完了と新駅稼働開始
新駅舎が完全に完成する前には一時的に旧駅からの導線が確保されていましたが、完成後には完全に移転され、旧駅舎は駅としての役割を完全に終えることとなりました。

新駅移転後。旧駅は保存されて駅前は大きな広場になった。あの頃の賑わいはもうない
近代建築物へと姿を変えた台中駅
入場口は2階に作られた。1階は駅ナカ商店街のような買い物スペースが誕生

現在の台中駅は、台湾高速鉄道との接続駅でもあり、台湾中部の交通拠点として重要な役割を果たしています。また、駅周辺には商業施設やバスターミナルも整備され、利便性の高い駅となっています。

空港のような大きな屋根も備えられた新ホーム。きれいで便利だが風情はなくなった
旧駅は一部が残されイベントスペースになっていた。電車が止まることはもうないが、あの日のことを思い出しながらホームを歩きたい

旧駅舎はその歴史的価値から国の史跡に認定されるとともに取り壊しを免れ、2017年から一般公開され、その美しい建築や鉄道の歴史を伝える施設として、多くの観光客が訪れています。現在は「旧台中駅」として保存されています。

線路の上に休憩用椅子が備えられた。こうした設備を作るのは台湾は本当に上手だ
上記太陽餅の店があった場所付近を撮影。あの頃の人々の姿はもうない
静かにひっそりとしている駅舎。昼間は自由に参観できる場所になっている

あの頃のように電車が止まり、喧騒の中人々が歩く様子を見ることはもう二度とできませんが、姿が残り、思いを馳せることだけは今でも可能です。

一つ一つ消えていく過去の遺産の中に、つぶされることなくこうして残っていくものがあることだけでも嬉しいことなのかもしれませんね。

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