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【ラオス発】連綿と続く喜捨と祈りの道 ルアンパバーンの托鉢 ーラオス・ルアンパバーンー

魅力あふれる東南アジアの国・ラオス。
現地住民のかつてからの生活がまだまだ残っている場所をあちこちで垣間見ることができます。

そんなラオスの中部の大都市ルアンパバーン。大都市といってもビル群があるわけでもなく、メコン川沿いに開かれた穏やかな山沿いの歴史深い町です。

今回はこの場所にずっと昔から残る托鉢の様子と、近年訪れたオーバーツーリズムの弊害をご覧いただきたいと思います。


◎歴史都市ルアンパバーン
ルアンパバーンは1353年に成立したラーンサーン王国の首都として栄えた町でした。18世紀初頭にラオス国内の北中南の王国に分裂するまでは多くの歴史をこの地で紡いできたのです。
仏教信仰を基盤として発展したラーンサーンにおいて、ワット・シェントーンを中心とした数多くの仏教寺院が建てられ、祈りの地としても意義付けられる場所だと言えます。

そのため、この地では深い深い仏教文化が息づいていき、毎朝行われる托鉢はルアンパバーンの象徴的な風景となっています。

◎どこからともなく現れる托鉢の列
朝5時頃…。
まだ辺りも薄暗い中、外に出てみると、人々が喜捨のための供物を準備しながら、歩道部分で集まっている様子がありました。

それぞれの木の入れ物に入っているのはカーオ(ごはん)のようで、それぞれに住む住人たちが、固まって列をなしていたのです。

並ぶ住民の前を歩く托鉢

しばらくすると…どこからともなくお経の声と歩く音が聞こえてきました。突然道に現れたオレンジの服を来た僧侶たちが道を練り歩いてくるのです。

住民と僧侶が一体化した文化を感じたものだった

僧侶の列は各自それぞれに入れ物を持ち、町の人々の前でそれを黙ってそっと開けると、自身の櫃の中にあるカーオを少しずつすべての僧侶の入れ物に入れていました。

一人一人が祈りを捧げながら喜捨をしていた

静かに行われる托鉢の様子は実に神々しく、静かな街中をより鮮烈に際立たせていました。

この当時も邪魔をする観光客はいたが
今ほどではなかった

一列が終われば、またしばらくして別の僧侶の一列がやってくる…。それぞれの寺院ごとにやってくる托鉢の列に、人々は自身の供物をひたすら渡していました。

中心街でも人々はしっかりいた

時々僧侶が立ち止まり、町の人々の列に何かお経か祈りを捧げる声が聞こえていました。

人々は手を合わせ頭を垂れてその祈りを聞いていたのです。

時々立ち止まり祈る僧侶

個人個人で喜捨をする人もいれば、必ずその人の前で櫃を差し出し通りすぎていきます。

その様子は6時ごろまでの短い時間でしたが、托鉢を終えた町は、どこか空気が澄んだような、そんな気がしたのです。

個人個人でもしっかり立ち止まってくれていた

2010年ごろでは、観光客が多く滞在するエリアにおいても、僧侶の近くで無理に撮影をしようとする不届き者もいましたが、周囲にも配慮をしようとする人々が多かったのも事実です。

ところが…

ライトがつけられ完全な観光イベントに変わった

◎イベント化されたルアンパバーン
ルアンパバーンは、1995年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

前述のように、多くの遺構を残したラーンサーン王国の歴史都市とであることと、フランス領インドシナ時代の西洋文化との融合が見事に行われていることが要素として登録されました。

その結果もたらされたのが…オーバーツーリズムと托鉢の商売化でした。

観光客たちはただ托鉢の様子を見るだけでは飽き足りず、僧侶の列を妨害してまで撮影する、無理に列を作って入れてはいけないものを僧侶の櫃に入れるなど暴挙を行うまでになりました。

観光客が座る場所に商売人が立ち、
そこを僧侶は無表情で通っていく

2024年には中央、シーサバンボン通りあたりでは、托鉢体験を行う人々がおり、40000や~50000キップで供物と場所を用意し、托鉢の列が通るときに観光客にそれをさせていました。

中央通りを通るのは一部の僧侶のみ。
明らかにここを通る人数は減った

入れるカーオの量がわからず、まだ後に列があるのに空になってしまったある西洋人は、あろうことか中に多くの食べ物があるにもかかわらず、また僧侶に対してにもかかわらず櫃のなかに1米ドルを入れていたので。もちろん現地の人々はそんな列には全く入ることはありませんでした。

10年前に感じたあの神々しさは完全に失われていたのです。

住民たちのいるほうに歩く僧侶

僧侶たちの中にはは敢えてなのか、中央通りを通らず裏からそそくさと消えていく集団もいました。寺ごとの動きでしょうが、避けて通ろうとする僧侶がいることは間違いないと思います。

多くの有名観光地が抱えるオーバーツーリズム。
近代化された規模が大きい都市などでもいざ知らず、小さな地方の町ではその影響は文化を変えてしまうかもしれない恐ろしさがあるのだと感じました。

この托鉢も以前のようにはもう戻らない、そのことを旅する我々も、そしてその国の人々も、強く考えないといけないことなのでしょう。

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