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レンアイ矯正

1.異性と容姿査定

私の人生で最も自分らしく過ごしたのは間違いなく中高時代だと思う。

女だけの中高時代は自由そのものだった。
特に私は、漫画や小説やゲームが好きな類の人間だったので、おすすめ漫画の回し読みをしたり、小説を書いて挿絵をつけてもらったり、授業中に隣の席の子とドラクエの攻略方法について筆談で盛り上がる日々に充実しきっていた。
もう二度と戻ってこない、奇跡のような時間だった。

しかし、たくさん食べて寝て笑って、私の手足がぐんぐん伸びるとそれはやってきた。

異性との交遊を持ち始めた友人が神妙な面持ちで持ち出したのはプリクラ帳だった。
何の変哲もなく、見知った顔ぶれが並んでいる。

「このプリクラを見せたら、”友達ブスじゃない?”と言われた、、、」

もちろん当人はいなかったが、私の他に数名のクラスメイトがいた。
全員が一斉に息を飲んだ。
皆が同じ気持ちだった。

“その着眼点、、、何?!”

事件だった。
それまで個性として認識していたものが、評価対象になる衝撃は大きかった。
これが私と「異性による容姿査定」との出会いである。

査定制度がなくても容姿を研鑚している子はもちろんいた。

自分のために決心して、休み明けに二重瞼になる子も多かったが、誰も気にも留めず、陰で話題になることもない。

女しかいない環境下では、容姿と他己評価があまり結びつかず、皆それぞれの日常で忙しかったのだと思う。
そんな日常に亀裂が入った事件であった。

しかし、その衝撃も時と共に薄れ、その後も趣味に興じながら部活の先輩にかりそめの恋心を抱いたりして女子校生活を楽しんだ私だったが、やはり大学生になった。

2.とんちんかん方程式

私は、昔から自己判断の過ぎる女だった。
本を読み、物事に疑問を持ち、深掘りすることで、なんでも分かったような気になっていた。
なので、異性と付き合う点においても謎の自信があった。

当時、本気で思っていた。
恋愛の方程式は決まっていて、それは女性の善悪に基づいていると確信していた。
自分の芯をしっかりと持ち、真面目に日々の課題をこなし、物分かりの良い女性が善。
反対の悪とは、男性に媚び、我儘で、常に他力本願な思考を持つ女性である。

なので私は、自制の心を働かせて、善の女性になるよう努めた。
常に冷静で、無茶も言わず、甘えもせず、お互いの生活に干渉しすぎないよう振る舞った。

結果、初めて出来た恋人に「もっと馬鹿な女が良い」とフラれるのである。

当時の私にとってそのフラれ文句はかなりのパワーワードで、その場で白目を剥いて泡を吹いて倒れたかった。
でも実際の私は木っ端微塵のプライドを寄せ集めて「◯◯くんがそういうなら、仕方ないね」と笑顔を振り絞り、身体を引きずりながら帰ることしか出来なかった。

そして、泣くのを堪えながら乗った帰りの電車の中で、これまで見逃していたシグナルが走馬灯のように脳内を流れるのだった。

「もっと好きだと言って欲しい」
「もっと会いたいと言って欲しい」
「本当に俺のこと好きなの?」
決まってこういう事を言われていた。
でもどうしても言えなかった。

「そこは負けていいんだよ」
友人にもアドバイスされていたのに、出来なかった。

私の掲げた方程式は全く的外れで、悪だと決めつけていた女性は男性の自尊心を尊重できる恋愛上級者であった。
実に愚かなとんちんかん女である。

しかし私だけかと思ったら、中高の友人が同じようなエピソードを持っていた。
円滑な恋愛関係には異性慣れが必要で、特に「異性に自分を晒けだす訓練」が重要だと知った。

恋人を好きになればなるほど、「好き」と言えなかった。
単純に恥ずかしという気持ちもあったが、「彼がいないとダメ」と思う自分に抵抗を感じ、受け入れることが出来なかった。
また、「気持ちで優位に立っていないと、相手に見くびられて浮気されるかも」という滑稽な強迫観念も強かった。

自分の時間で日々を充実させていた中高時代の自負が、私を究極の恋愛ビビリに形成していたのだ。

こうして初めて与えられた「彼女」という役割は、全く想像通りに果たせなかった。

3.理想の男性

頼もしくて即断でき、論理的に物事を考える父のような人が、異性としての理想だった。
父を支え、真心と愛情いっぱいで少し天然な母のような人が、同性としての理想だった。
そういう両親の下で楽しく暮らしてきたため、自分も同じような家庭を築きたかったし、当たり前のようにそうなれると思っていた。

なので父のような男性を無意識に恋愛対象として見ていたが、実際に付き合うと上手くいかないことばかりだった。

週末にドライブへ行こう!となると、気付けば私が日程と段取りを決めていた。

喧嘩になったとき、言う言わないの水掛け論が嫌なので、以前のやり取りをスクリーンショットして送ったらとても引かれた。

勉強を教えて欲しいと甘えてみると、恋人よりも良い点数を叩き出してしまい気まずくなった。

そのような事がうんざりする程重なって、ようやく私は気付いた。

仕事が好きで、家電に詳しく、テレビの配線やDIYが得意な、ちょっと収集癖のある父。

それは私だった。

母の努力で見た目は女性らしく造ってもらっていたので自他共に騙されていたが、私こそが、父のDNAを多めに受け継いでおり、最早ほぼ女版の父だった。

この事実に気づいた時、私は喜べばいいのか悲しめばいいのか分からず困惑した。
男性としての父は理想だが、女版の父はキツい。率直にそう思った。
しかし、父のような男性と父のような私が付き合うのだから、そりゃ上手くいかないわ〜と原因が分かってスッキリした。

もう両親をなぞったパートナーシップを目指すのはやめて、私自身に合うようなオリジナルの関係を目指そうと思った。

4.ネバーエンディング矯正

「自分が育ってきた環境を再現するのは無理なんだ」と気付いてから心が随分楽になった。
理想と思える家庭環境で生まれた事は幸福だけれど、その幸福論に捉われていたので、呪縛から抜け出せた感覚があった。

そして色々な恋愛経験を重ねていくうちに、異性とパートナーシップを築いていくことが歯列矯正のイメージと重なった。

歪な歯並びを、長い時間をかけて矯正していく。
痛みを伴いながら、少しずつ。

未だに分かり合えずに悩む時があるけれど、一朝一夕で解決したくなった時は、このイメージを思い出そうと思う。



end.

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