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ひとを笑わせるのなら
希望が見えた僕は、部活を辞めた後、何か新しいことを始めようとしていたのかもしれない。校舎裏で泣いていた少女が、僕の何でもない一言で笑った瞬間が、頭から離れなかった。
あのとき感じた温かさ。悲しんでいる人を笑顔にできるって、こんなにも力強いことなんだと思った。それから僕は、面白くなりたいと思うようになった。ただ生きるだけじゃなく、人を笑わせられる人間でありたい。そんな目標が、僕の中で静かに芽生えていた。
けれど、現実はそんな僕の心を容赦なく追い詰めてきた。父は仕事や気まぐれで家を空け、母は不倫相手の家に入り浸り、ほとんど帰らなくなった。次女は家を飛び出し、行方不明になり、家の中には静寂と不在だけが残っていた。
そんな中、長女の関係ある知人の加藤が家によく訪れるようになり、家庭のことに首を突っ込んでくるようになった。
ある日、母と長女から「加藤がを次女を殴った」と聞かされたとき、僕は言葉を失った。理由は分からなかったが、何があったにせよ、それを正当化できるものではないはずだ。加藤が本当にそんなことをしたのだとすれば、僕にはそれが到底理解できなかった。
母が激怒していたことや、長女が困惑している様子も伝わってきたが、家の中でその件についてしっかり話し合われることはなかった。ただ、これが家族の間にさらに深い溝を作ったことは間違いなかった。次女が家を出て行くことになったのも、もしかしたらその出来事が一因だったのかもしれない。
その後、次女は家を出て、行方不明となり、やがて警察に捕まり、施設に送られることになった。何をして捕まったのか、詳しいことは家族の誰も話さなかった。ただ、家族の誰もがその事実を淡々と受け入れ、驚きもしない様子がかえって悲しかった。「こうなるのは仕方ない」とでも思っているようだった。
次女が施設に行った後も、更生して戻ってくる兆しは見えなかった。家族の中でその話題が出ることもなく、次女の存在は次第に家族の記憶から薄れていくように感じられた。父も母も、そして長女も、それぞれが自分の問題に忙殺され、次女の未来に目を向ける余裕など持っていなかった。
僕もまた、目の前の現実をどうすることもできず、ただ心を閉ざしてやり過ごすしかなかった。
追い打ちをかけるように、母が薬を大量に飲み込んで倒れ、救急車を呼ぶ事態にまでなった。その時も父は怒鳴り散らし、長女はその横で泣き崩れていた。僕はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
母親が回復し、ようやく会話ができるようになった頃でも、家庭の緊張は変わらなかった。父が家にいるときは怒鳴り声が響き、その声はやがて暴力に変わった。ある日、母が膝を蹴られたときの鈍い音が今でも耳に残っている。それ以来、母は「膝が痛い」と定期的に口にするようになった。台所での動きもぎこちなく、辛そうな姿を見ても、僕には何も言えなかった。ただ、その言葉が響くたびに無力感が胸に広がるばかりだった。
そんな崩壊した家庭の中で、僕を助けてくれたのが音楽とお笑いだった。近所のレンタルビデオ店に通い詰め、HIPHOPのライブ映像やバラエティ番組のDVDを借りるのが日課になった。特にHIPHOPは僕にとって救いだった。重たいビートに乗せて放たれる言葉が、現実のすべてを吹き飛ばしてくれるように感じた。部屋の中でスピーカーの音量を上げ、何度も同じ曲を聴くうちに、心の中に少しだけ余裕が生まれていった。
お笑いもまた僕を支えてくれた。めちゃイケのテンポや掛け合いに夢中になり、自分でも真似してみたりした。古谷実の漫画を読み漁り、登場人物の絶妙な言い回しや表現に影響を受けて、自分の語彙を増やすようにした。昼休みには、誰もいない体育館裏でネタを書き、それを少女に見せていた。彼女は、僕が唯一自分の言葉を試せる相手だった。僕が考えたネタを読むたびに、彼女が笑ってくれるその瞬間が、何よりも僕の救いだった。家でも学校でも押し潰されそうになる中で、その笑顔は僕にとって唯一の光だった。
音楽やお笑いは、現実逃避の手段だったのかもしれない。それでも、それらがなければ僕はもっと早く心が折れていたと思う。家庭がどうしようもない状況でも、これだけは僕にとって「生きるための支え」だった。
そんな状況の中でも、高校受験だけは逃れられなかった。家庭は荒れ放題、学校では孤立感を抱え、勉強に集中できるわけもなかった。それでも、なんとか手を動かし、自己申告書には自分の今の状況を正直に書いた。家族のこと、学校での孤立、自分がどうやってここまで来たかを綴るうちに、少しだけ心が軽くなった気がした。
その頃、児童相談所の人が学校に来たことがあった。僕の状況を聞いて何かしてくれるのかと思ったけれど、何の変化もなかった。形式的な質問をいくつかされた後、「大変だね」と言われただけで終わった。その言葉には同情の色があったけれど、実際には何もしてくれないのだとすぐに分かった。その時、はっきりと感じた――誰も自分を助けてはくれないのだと。
学校の先生も、家族も、児童相談所の人も、みんな「頑張れ」と言うばかりで、僕が抱える重さを軽くしてくれる人はいなかった。大人たちは僕にとって頼れる存在ではなく、ただ遠くから眺めているだけのように思えた。そして家族は、自分たちの問題に忙殺され、僕に目を向ける余裕すらなかった。
自分のことを助けられるのは、結局自分だけ。そんな孤独感が、あの頃の僕の心を満たしていた。
それでも、高校の合格通知が届いたとき、僕は一瞬だけ安心した。結果はぎりぎりだったが、確かに自分の名前があった。しかし、嬉しさよりも「また次の場所でやり直さなければならない」という不安が胸を占めた。それでも、「ここから先、もう少しだけ自分を変えられるかもしれない」という希望は、わずかに残っていた。
合格を知った父が「祝勝会を開こう」と言い出した。正直、嫌な予感もしたけれど、久々に家族全員が揃う場だという話に少しだけ期待した。そして迎えた当日、一次会の焼肉は本当に楽しかった。久々にみんなが笑顔を見せ、会話が弾んでいた。家庭の崩壊なんてなかったかのような錯覚すら覚えた。
しかし、二次会のカラオケに移動した途端、空気は一変した。酔っ払った父が母に絡み始め、やがて激しい口論に発展。母は店の中で怒鳴り返し、長女は泣き出し、完全に地獄絵図と化した。楽しさで満たされていた気持ちは一気にしぼみ、僕は黙って会計を済ませるよう言われ、その場を後にした。
「祝勝会なんていらなかった」。心の底からそう思った。焼肉の時間が幻のように思えて、胸にはただ虚しさだけが残った。
その頃にはもう、僕は何もかもどうでもよくなっていた。衝動的に髪をモヒカンにしたのも、その表れだったのかもしれない。鏡に映る自分の姿は、滑稽で、どこかバカバカしくて、思わず笑ってしまった。けれど、それが今の自分には妙にしっくりきた。
家庭は相変わらず荒れたままだった。それでも、新しい環境では少しでも自分を変えられるかもしれないという思いが僕を支えていた。期待は裏切られるかもしれない。けれど、そうだとしても前に進むしかなかった。