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エデン条約編から見るニヒリズムと厭世主義+感想【ブルーアーカイブ】
Vanitas vanitatum, et omnia vanitas.
全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ。
エデン条約編でこれでもかと言われたこの言葉。これは旧約聖書の中でもかなりの知名度を誇るコヘレトの言葉が元になっています。
一見すると「これは虚無主義だ」と勘違いしやすい文ですが、コヘレトの言葉を最初から最後まで読むと、これは虚無主義ではなく厭世主義に近い内容であることがわかります。しかし、あなたはこう思ったはずです。
「虚無主義と厭世主義って何が違うの?」と。そう、この二つは本当によく混同されやすいのです。これはおそらく日本語訳に問題があり、これからはわかりやすく区別するために虚無主義をニヒリズムと呼ぶことにします。
※エデン条約編のネタバレにご注意ください!
※筆者は専門家ではないので、
誤ったことを書いている可能性があります!
ニヒリズムって何?
ではまず、ニヒリズムについて簡単に、若干の嘘を交えながらご紹介しましょう。ブルアカと絡めた話は少し先になりますので、
「そんなことわかってんだよ!馬鹿にしやがって!」
という方は文章を飛ばしていただけると幸いです。
ニヒリズムは最も誤解される考えの一つで、現代でよく使われる"ニヒリズム"はあの偉大な哲学者ニーチェが生み出したものです。ニーチェは著書『悦ばしき知識』にてこう語っています。
"God is dead. God remains dead. And we have killed him. How shall we comfort ourselves, the murderers of all murderers?"
「神は死んだ。神は死んだままだ。そして私たちが彼を殺した。人殺しの中の人殺しである私たちを、どうやって慰めようか。」
(記事内の文をDeepL翻訳で訳し、一部改変。)URL: https://w.wiki/AWw8
皆さんご存じ、「神は死んだ(Gott ist tot)」です。ニーチェは狂人となって死ぬ最後まで、この問題を追求しようとしていました。
さて、世間一般で認識されている「ニーチェは神はこの世に存在しないと言った」という言説とは異なることにお気づきでしょうか。そう、彼は神を否定したわけではありません。実際はキリスト教を批判したのみで、神秘的概念に対してはそこまで話していないのです。
ちょっと詳しく!ヨーロッパのキリスト教的価値観について
更に話を飛躍させましょう。時代は中世ヨーロッパに遡ります。この時代の最高権力、それは国王ではなく教皇です。十字軍はご存じでしょう?そう、イスラム勢力から聖地イェルサレムを奪還しようと多くの国王が参戦したアレです。じつはアレを主導したのは教皇に他なりません。びっくりですね。
とまあこのように、ヨーロッパ各国の軍隊を意のままに操れるレベルで教皇は強かったのです。
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一見ただのおっちゃんだが、キリスト教ガチ勢なので現代人目線で見ると結構過激な人でもある。
となると、キリスト教の権力というのは凄まじいものであったことが理解できると思います。ヨーロッパは生活のありとあらゆる場面で、キリスト教が浸透していました。それゆえ、ヨーロッパの民の価値観はキリスト教の教えに則っていた(現代のヨーロッパの民も同じだとは言っていません)わけです。そうすると、先ほどの「神は死んだ」が相当大変な文章だというのがわかってきたのではないでしょうか。これはただ単に無神論を語っていたのではなく、
「私たちが日々正しいと信じてきた聖書や教えは全て間違いかもしれないし、私たちが信じていた神は私たち自身の手によって殺され、私たちは何も信じるものがない」という絶望を表す文章だったのです。
結局ニヒリズムってなんだ?
さて、この事情がわかった上でニヒリズムの意味を見てみましょう。
コトバンクで確認すると、ニヒリズムは
「本当に信頼できる真理や価値などは何もないとする考え方や精神状態」
とされています。先ほど述べたように、自分たちが今まで信じてきた価値観が一瞬にして崩壊してしまった状態というのが本来の意味なのです。
厭世主義とニヒリズムの違い
厭世主義はどうでしょう。
厭世主義はざっくり言うと「この世は悪と悲惨に満ち溢れている」という考えです。一見同じように見えますが、厭世主義は「この世には絶望しか残されていない」という一定の価値観が存在しているのに対し、ニヒリズムは「この世に普遍的な価値や真理は存在しない」とし、基盤となる価値観そのものが消えかけている状態です。ニヒリズムと厭世主義の違いについてわかっていただけたでしょうか。それではこれを理解した上でコヘレトの言葉の一部を抜粋して読んでみましょうか。
04:08ひとりの男があった。友も息子も兄弟もない。
際限もなく労苦し、彼の目は富に飽くことがない。
「自分の魂に快いものを欠いてまで誰のために労苦するのか」
と思いもしない。これまた空しく、不幸なことだ。
12:13すべてに耳を傾けて得た結論。
「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。
日本聖書協会訳より引用
copyright: 日本聖書協会
URL: http://www.yoyoue.jpn.org/bible/ecc.htm
さぁ、これがニヒリズムとは全く違うことがわかったでしょう。これは明らかに一定の価値観に基づいている文章です。そしてところどころこの世を憂いているような部分も見受けられます。これこそが、私がコヘレトの言葉をニヒリズムではなく厭世主義に近いと言った理由です。
エデン条約編から見るニヒリズムと厭世主義+感想
お疲れ様でした、ここからようやくブルアカの話を始めます。話が長ったらしくて嫌になりますね。
エデン条約編の第4章ではミカとサオリの対比が非常に上手く描写されていました。大切な友達を自分の行いで失い、帰る場所を失ったミカ。大切な仲間を守りたいがために心を鬼にするも、やはり自分の中のどこかでは束縛から脱却したいと願うサオリ。
ミカは奪われた分だけサオリから奪うという覚悟を決め、一時は先生とも対峙します。
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この時のミカは、ニヒリズムと厭世主義両方に近い考え方をしていたと思います。彼女はすでに友達という価値を自らの手で破壊していますし(実際はそうではなかったけれど)、自分は幸せになることなどできないという絶望もありました。
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この台詞は印象に残っていますね。あなたは幸せになれない、私が幸せになれないのと同じように。逆に考えれば、自分は幸せになれない、あなたが幸せになれないのと同じように……という風になります。帰るところも大切な友達も失ってしまった悲しみと無力感、そして怒り。自暴自棄に陥るには十分すぎる理由です。また、ミカは最後までサオリのことをまるで鏡に映る自分のように捉えていました。でも、鏡の中の自分にはなれない。幸せになりたかった、もっと早くから先生に会っていればよかった。けれどもう引き返せないところまで来てしまった。私は、幸せになれない。そんな想いを秘めていたのではないでしょうか。
一方サオリもこうだったかというと、似ているところはありますがそうではありませんでした。サオリはアズサの考えである「たとえ全てが虚しくても、今日最善を尽くさない理由にはならない」を自身の信念に組み込みました。アズサのこの考え方は別の古代の警句で例えるとカルペ・ディエム、「その日を摘め」に似ており、この警句はVanitasと同じく静物画のジャンルの一つにもなっています。
それに、この時ベアトリーチェに捕らえられていたアツコもまだ死んでしまったとは限らない状況でしたし、デウス・エクス・マキナじみた先生という存在も味方してくれています。ミカと比べてまだ希望を持つことができていたというのは特筆すべき点でしょう。
その後、ミカは先生のおかげでなんとか立ち直り、こう言いました。
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いつか、あなた達の苦痛が癒える事をーーー
やり直しの機会を希うのと同じようにーーー
あなた達に、未来が……次の機会がある事をーーー
ーーーあなた達を赦すよ。
ミカは本当に強い子です。前述したように、彼女はすでに絶望しています。さらにエデン条約編内でミカはキリエの歌詞を嫌っていることも話されていました。にもかかわらず、彼女は一度この手で全てを奪おうした相手のために祈りの言葉を唱え、迫りくる敵を食い止めるという偉業をやってのけました。魔女と呼ばれ続けたお姫様の優しい心は、最後まで朽ちることなく残っていたのです。やだ私泣いちゃう😭
そしてサオリは悪女ベアトリーチェに勝利し、こう言いました。
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サオリはこれから色々なことを経験していくでしょう。その経験から新たな価値観を見つけることもあるでしょう。そして自分で新たな価値を創造し、それを基に日々を生きていく。これは能動的ニヒリズムに通じるものがあります。能動的ニヒリズム、これはざっくりいうと「人生は無意味だ。ならば、自分で新たな価値を作っていこうじゃないか」という考えです。サオリはこの瞬間、初めて他人に支配されることのない自分だけの人生を歩むこととなりました。これには地獄にいるニーチェも泣いて喜ぶでしょう。私も一緒に泣くかも…😭
ブルアカのストーリーは全て「生徒の成長」を軸に物語を進めていますが、エデン条約編はそんなストーリーの中でもダントツで感動しました。本当に。私がブルアカを始めたきっかけはエジプト神話が関わっていると聞いたからなんですが、こんな素敵な物語が隠されていたとは驚きです。お陰でしっかりとブルアカの四文字が脳に焼き付きました。
そこのあなた、透き通るような世界観で送る学園RPG、ブルーアーカイブを始めませんか?
余談
聖園ミカのヘイローってあるじゃないですか。
![](https://assets.st-note.com/img/1718373121364-PCtJVB6FdV.jpg?width=1200)
きゃーかわいいー!!このヘイロー、恐らく原始星が元ネタなんじゃないかなと思っています。原始星というのは名前の通り生まれたばかりの星のことで、私たちが愛してやまない(または憎んでやまない)太陽もこの原始星を経験したことがあります。原始星が形成されると、中心にガスの塊が形成され、その周りを降着円盤と呼ばれるこれまたガスで形成された円盤が作られます。この円盤を吸収して星はどんどん大きくなっていくわけですが、吸収されなかったガスは円盤とは垂直の方向に吹き飛ばされます。これは宇宙ジェットと呼ばれていますね。
ここでミカのヘイローを見てみましょう。中心に球体が作られ、周りに円盤のようなものが煌めいています。もう一度中心の球体を見てみると、なにやら垂直方向に煌めいているものが伸びていることがわかります。これ、やっぱり原始星ですよね。
で、これがどうしたんだっていうと、ミカと原始星っていうのはある意味似ていると思ったんです。お互い未熟で、不安定で、周りを巻き込んで、ちょっぴり危険。だけどその煌めきは確かに綺麗で、眩しくて、心が奪われるぐらいに美しい。
私は聖園ミカをそんな存在だと思っています。
最後ちょっとカッコつけちゃいましたね。今回の話の中でたびたびコヘレトの言葉を引用しましたが、ネット上に日本語訳されたものが全文公開されているので、お時間のあるときに読んでみては如何でしょうか。
稚拙な文章でしたが、最後までお読み頂きありがとうございました。
(当記事の引用部分を少し編集しました。本文中の内容に変更はありません)