「ただ、君に会いたい」#19【恋愛小説部門】
前話↓【#18】
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電車に揺られていると内臓まで揺さぶられているような感覚になって、あぁこれはだめかもしれないと察した。
だから会場最寄り駅に着くと、私はホームのベンチに座り込んでしまう。漂流の中、岸を見つけたような心地だった。
こめかみがどくどくと脈打つ。頭全体が締め付けられるように痛い。動けない。
自分の体は自分が一番よくわかるのだ。本来なら遊びに行けるコンディションではなかった。
だけど、今日のために仕事を休んだ。
それに何より、私が見たいとねだった花火。慧はきっと私を待っている。
待ち合わせの駅出口でその姿を見つけた私は、笑顔を装備して慧へ手を振った。
体調不良は悟られないよう、いつも通りの自分を演じた。例えば、口数を減らさないようにした。慧はそんな私に気づいていただろうか。
気づかれていないことを切に願いながら、しかし無理をすればするほどに、体が本調子ではないことを私は自覚した。数個のたこ焼きも味わって食べたんじゃなく、押し込むようにして口に入れたので苦しく胃に積もった。
花火の打ち上げまで乗り切れたら。早く夜になって、花火が打ちあがればいい。そうしたら家に帰って休める。
内心ではそう思いながら、だけど慧の前では楽しみにしているふりをする。
それは私にとって耐えがたい苦痛で、だんだんと気持ちが悪くなってくる。
結果として私は倒れ、彼の手をひどく煩わせるはめになった。
「もう平気?」
あれから私は慧に連れられて救護室に向かい、軽い熱中症だろうと判断された。設営のスタッフに渡された経口補水液を飲み、簡易ベッドで少し休んでから駅までの道を歩いている。
「しんどかったら言ってね」
「ありがとう」
ぽつぽつと会話する私たちのそばを、花火大会帰りの人々が通り過ぎる。おしゃべりしながら、笑いながら。
私を気遣い、慧は歩く速度をゆっくりにしてくれていた。
「ごめんね」
「ん?」
「花火見れなくてごめん」
「体調のほうが大事だよ。花火はまた見られたら、それでいいじゃん。今も一応さ」
そう言って慧は彼方の夜空を振り返る。私も振り返る。花火に。
会場では打ち上げが続いているけれど、大事を取って帰ろうと、慧が私を諭したのだった。
慧が前に向き直る。私も前に向き直る。幻想から帰る路上、遠くに小さく見える花火を見返す人は誰もいなかった。それ以降、私も慧も花火には触れずに駅へ着く。
ホームまでの階段。万が一私が落ちないよう、少し隙間を開けて後ろで構えてくれている手。ベンチが空いていてよかった、と言葉。
そして機嫌一つ悪くせず、隣に座ってくれる彼の存在。
どれもがありがたく、しかし同じくらいに申し訳なさも募っていく。
私が倒れてから、慧の言葉数は減った。これもまた、気遣ってのことなんだろうか。
せっかくのデートなのに、これ以上雰囲気は重くしたくない。何か会話のきっかけを、と探した。でもやめた。
無理をしても余計なことを口走るのがオチだ。行きがけもそうだった。目印、だなんて。
花火はホームからも見えた。
しゅるしゅると登る光が最高点で空を叩き、その開花を知らせる。一輪、二輪、三輪。赤、緑、白。スクラッチアートのように浮かび上がるそれらを、私はぼうっと眺めている。
また一つ音が鳴り、シャンパンゴールドの大輪が弾けた。立体感を持って地面に降り注いでは、最後にきらめく粉となる。
真剣に見ていたわけではないのに、私は次の花火を期待していた。
だけど次が打ち上がらない。待っても来ない。
あれが最後だったのだ。
気づくと悲しくなり、静寂の空を突如として孤独に感じる。
存在を確かめるみたいに、隣に座る慧の手を握った。慧は少し驚いたように、繋がれた手を見た。私はきゅっと力を込める。
でも慧は包み返してくれない。握っているのは一方的に私で、実際としての手と手は、ただ重ねているに近かった。
ホーム全体に電車の到着アナウンスが響く。
「一人で帰れそう?」
慧が電光掲示板を仰ぎ、そして私にたずねる。
──まだ一緒にいたい。
「うん」
心と裏腹な言葉が出た。
「気つけて帰ってね」
そう言って、慧は私からするりと手を抜く。
立ち上がって黄色い線の近くまで進む。すると定刻通りに電車が来て、私も慧の横に並んだ
「家着いたら連絡して」
車両に乗った私に言う。今は隔てがないけれど、じきに発車アナウンスが鳴ってドアが閉まるだろう。
寂しい。
家に着くのはだいたい一時間後だろうか。帰宅したら連絡、は未来というには大げさな、少し先に架かる約束なのに。
どうしてかやけに寂しくて、私はショルダーバッグのストラップを握りしめた。
「じゃあまた」
ホームに残る彼が告げる。このままじゃ、手を振って、それでさよならだ。
「慧!」
咄嗟に私は名前を呼んだ。
「どうしたの?」
上ずる声の私に、慧は不思議そうな顔をした。「……ごめん、何でもない」
どうして名前を呼んだのか、それは私が聞きたいくらいだった。
「またね」
たった三文字。言い終わらないうちに、重たいドアが息を吐いて閉まる。やっぱり嫌だ。
四角い広告ステッカーが貼られたあたり、私はドアにぴとりと手を這わせた。そんなことをして何になるというのだろう。
言外に「また」と慧は手を振るだけだ。
そんな彼がいるホームを置き去りにして、無慈悲に電車は発つだけだ。
それでも足掻いていたかった。
悪いことが起きる前、人は何かしらの予感を抱くもので、それはかなりの確率で当たる。
その勘というのはもしかしたら人間の本能なのかもしれない。心に入る傷が浅く済むように、備わっているのかもしれない。
予期していたから離れがたかった。
この夜を境に、彼との何かが変わる気がした。
【#20】↓