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「ただ、君に会いたい」#14【創作大賞2024・恋愛小説部門】

前話↓【#13】
https://note.com/royal_serval8408/n/n3b41916e3374 

6

 あれから瀬名くんは南雲と再会したそうだ。
 十数年ぶりに顔を合わせた二人が何を話をしたのかは知らないけれど、
 [今日、あいつと野球観に行くんだ]
 [南雲が生で試合観たいらしくて] 
 灯らせたロック画面に連続で表示されたメッセージ。二人のわだかまりがとけたことを改めて知り、ほっとした。 
 数分後にまたスマホが震える。今度の差出人は南雲で、
 [瀬名と話した。ありがとうな]
  そんなメッセージが。こちらは既読にしてしまったので返信する。
  [私は何もしてないって]
 [そうだ、今日野球観に行くんだって?] 
 すぐに返事が来る。
 [そうそう。瀬名が野球観たいって言うから] 
 理解には時間が必要で、だけど意味がわかったとたんに吹きだしそうになった。
 どちらかが嘘をついている。でも、おそらくどちらも嘘じゃない。
「何見てんの?」 
 キーボードを起こして返事を考えていると、いきなり話しかけられた。両手で持っていたスマホを落としかける。
 「……別に?」
 なにー? と両面を覗き込む妹の穂乃花から私はさりげなくスマホを遠ざけた。焦ってしまい、意味もなく髪を耳にかけたりなんてする。
 気まずさを覚えたタイミングで、注文したメニューが一斉に届く。私のぶん、左隣の穂乃花のぶん、そして穂乃花の向かいに座るお母さんのぶん。それぞれ、おろしハンバーグ、チーズインハンバーグ、和風ハンバーグ。お肉の上でゆらゆらと湯気が揺蕩う。
 二泊三日、行先は京都。六月最終週の今週は穂乃花の学年で修学旅行が実施され、今日はその代休日なのだ。ちょうど火曜日だから一緒に、と私はハンバーグレストランに来ている。仕事中のお父さんには内緒と口裏は合わせてある。
「ほら、冷めちゃうよ」
 まだ何か気になっている様子の穂乃花に促して、いただきますと手を合わせた。穂乃花は何かと感が鋭いのだ。だから……ナイス、店員さん。
 平日の昼下がりにファミレスを訪れることは、そうそうない。だから客層は主婦やシニア世代がメインかと思っていたのだけど、会計をしに向かう道すがら、テーブル席を見渡すとオフィスカジュアルな服装の人が多いことを知り、意外だった。
 お母さんと私で三人分を割り勘し、店を出た。、
「どうかした?」
 そうして歩く屋外パーキングスペース。私はたずねた。隣を歩いていた穂乃花が突然後ろに振り返ったのだ。何があったのかと思ったが、穂乃花はすれ違った中年女性へ視線を注いでいる。
「あー……何でもないや」
 穂乃花は発言を取り消し、さっさと駐車場を歩いていった。
 しかしその疑問は、比較的すぐ解決されることになる。
「さっきの人、永井先生じゃなかった?」
 お母さんが運転席へ座って車が出発し、敷地を離れてしばらくしたころ。そういえば、という感じで穂乃花が切り出した。
「穂乃花もそう思った?」
 お母さんが同調した。
「ね、絶対そうだよね」
 横向きにしたスマホをいじりながら穂乃花が返す。
「永井先生って?」
 会話の切れ目にねじ込んで聞いてみた。永井先生って誰? その疑問には穂乃花が答えてくれる。
「昔、穂乃花がピアノ習ってたじゃん? その教室の先生。ママとも仲良かったよね」
「そうねぇ」
 ピアノの先生。名前こそ知らなかったけれど、その存在なら知っていた。
 褒めて伸ばしてくれる優しい先生なのだと、穂乃花はその先生によく懐いていた。他の習い事は続かなかった穂乃花がピアノを長く続けられたのは永井先生のおかげだったのではないかと、私は思っているのだ。
 一瞬すれ違った姿を思い返した。 レストランに向かって歩いていた六十代くらいの人。ミディアムヘアの毛先を軽くカールさせていて、ピアノ講師という肩書がよく似合う人だった。
 車の流れが途切れるのを待って、お母さんがぐるんとハンドルを切る。ウインカーのカチカチ音が止む。右折で角を曲がる──
「何か感じ悪かったよね」
 穂乃花の呟きが鋭くて、思わず私は隣を見た。穂乃花はスマホをいじり続けていて、ときどき画面を連打する。多分ゲームをしている。
 聞こえていないのか、そのふりか。お母さんは運転を続けていて、穂乃花反応しなかった。
「永井先生と絶対に目合ったんだけど、普通に無視された。穂乃花、こうやったんだよ?」
 穂乃花はスマホから顔を上げ、ぺこっと会釈をしてみせる。たしかにあのとき、穂乃花は誰かへ軽く頭を下げていた気がする。
「教室の生徒は穂乃花だけじゃないでしょう。何人いると思ってるの」
 赤信号で減速するタイミングで、ブレーキを踏むお母さんがため息をいた。
「それはわかってる。けど穂乃花、五年以上通ってたんだよ?」
「気づかないときもあるんじゃないの?」
 お母さんのフォローも払いのけられる。
「どれだけ練習してもピアノ下手くそだったから、そういう意味で穂乃花は印象に残る生徒だったと思うけどな。あ、辞めたからもう生徒じゃないか」
 よどんだ空気が充満していくようで、私は自分に近い左側の窓を開けた。だけど吹き込んでくるのはもわっとした風だった。ここ数日は長雨だった。
 大人ぶってるのかもしれないけど、そういうところが子供だよ。
 もっと言えば、自分の価値観でしか物事を測れないところ、お母さんにそっくり。
 どれほど言ってやろうかと、たまらくなった。けれど、姉妹。歳が離れているとはいえ、姉の指摘は妹の腹を立てるだろうから、私はくっと我慢したのだ。
 そんな私の配慮も知らず、穂乃花は沸騰したやかんみたいになって怒りを並べ立て続ける。
「自分の生徒じゃなくなったら無視って、普通にちょっと引く」
 普通。
「普通挨拶くらいするよね?」
 普通。
「何年も受け持ってた生徒なんだから、普通、顔見たらわかるし」
 普通。普通、普通──
「こっちは挨拶してるんだから、頭下げるくらいしても普通によくない?」
「普通って何?」
 面食らったように穂乃花は私を見た。
「会った人にすぐ気づけるのが普通で、そうじゃなかったら普通じゃないってこと?」
 つい口を挟んでしまった。
 は? と穂乃花が薄ら笑いを浮かべる。
「何でお姉ちゃんがキレてんの」
「それは……」
 どういう回路でスイッチが入ったのか、自分でも知らない。誰に対して怒っているのかも。永井先生の心の内なんて、誰にもわからないのに──「お姉ちゃん永井先生に会ったことないよね?」「会ったことない。でも聞いてたらムカつく」
「意味わかんないし」
「穂乃花は永井先生に会ったことあって、ずっとお世話になってたんだよね? それなのにねちねちと言って、ちょっと引く」
「は?」
「自分に気づいてくれるのが当然って、そういうの身勝手っていうんだよ」
「……何なの」
 いらいらと穂乃花は唇の端を引きつらせた。「穂乃花にそうやって怒って、お姉ちゃんはいい人ぶりたいの?」
 まさかそんなことを言われるなんて、思いもしなかった。思考が止まった。
「……穂乃花も夏々花もやめなさい」
 二人の名前を呼びながら、しかしお母さんはバックミラーを通じて私に注意した。ショックが上乗せされる。
 お母さんは、いつだってどこか、穂乃花に甘い。
 それは昔から薄々思っていたこと。一回り近く離れた妹に妬みのような感情を持っているなんて、まさか言えずに抱え続けていた
──雨の次の日って、空綺麗に見えるでしょ?
 先日の瀬名くんが言ったのを思い出し、狭い四角の枠から空を仰いだ。
 限りなく広がる濃い青。雲は途切れても空は続く。
 しばらくの間は眺めて、だけど顔を背けてしまう。
 その色の途切れなさに胸やけがしそうだった。 


 カラオケ行かない? 簡潔なメッセージをくれたのは紗月で、私は二つ返事でOKした。
 駅で車から降ろしてもらって待ち合わせの夕方まで時間を潰し、彼女と落ち合う。
 紗月とはよくカラオケに行くのだけど、利用するのは決まって駅前ビル内のカラオケで、
「うーわ、負けた」
「勝った!」
 決まって、私たちは歌う順番をじゃんけんで決める。二人だから順番も何もないけれど、部屋に入ってすぐのじゃんけんが恒例なのだ。チョキで勝利を収めた私は二番手に回った。
「ありがとね。今日カラオケ付き合ってくれて」 
 L字ソファに座り、早速一曲目を選ぶ紗月が言う。
「いーえー」
「夏々花のおかげでクーポン無駄にせずに済んだよ。期限六月末までだったの」
 だからありがとう! と合掌ポーズを向けられた。
「こちらこそありがとうだよ。私も歌いたい気分だったし」
「そうなの?」 
 もう一台のタッチパネルに手を伸ばしながら私はうなずく。
「いっぱい歌ってすっきりしたい気分だったから」
「何かあったの?」
「え……いや! 日頃のストレス解消? できるかなって」
 ありきたりな理由をつけて反応をうかがった。紗月からは、「そういうときあるよねー」 とだけ返ってきて、よかった。あっさりと紗月がスルーしてくれたことに安堵し、私はカラオケを楽しむことだけに集中する。
 そうそう、と紗月が会話のドアを軽くノックしたのは交代で数曲を歌ったころで、気がねなく私はドアを引いて迎えた。
 だけど、「今日さ、瀬名に会ったんだよね」 入ってきた紗月の言葉に、そのドアを閉めかける。「どこで?」
「駅。夏々花と会う数分前に見かけた」
 新快速が止まる駅名を紗月は挙げた。その駅からは球場へアクセスしやすく、見かけたという紗月の発言に信憑性が高まる。
「……そうなんだ」
「うん。見かけて、それで声かけたら、やっぱり瀬名だった」
「え?」
 即座に聞き返してしまい、訂正するように私は首を振った。一瞬で巡った心配や憂慮を隠す。「あいつ全然変わんないね。背デカいから人混みでも目立ってたもん」
 すぐ瀬名ってわかったわ、ケラケラ笑う紗月に合わせて、私と口元で笑みを作ったが、しかし心の中では眉をひそめた。
 紗月が瀬名くんに声をかけた?
  二人は顔見知りではあるけれど、一体、紗月のことはわかったんだろうか。
 瀬名くんにとって顔の識別は難しくて、いきなり街中で話しかけられてもそれが誰かわからないはずなのに。だから私が声をかけたときも……。  考えこんでいると、紗月がドリンクのアイスコーヒーを一口含んで言う。
「それでさ、瀬名から聞いた」
 先程とは打って変わり、口調が神妙だった。「何を?」
「人の顔覚えるのが苦手、って」
 ストローの空き袋をくしゃっと丸めたり、反対にそれを伸ばしたり。意味もなく、だけどしきりに指先を動かしたり。紗月が言葉を選んでいるんだろうことが伝わってきた。
 瀬名くんが自ら紗月に打ち明けたことが意外なような、ちょっとした肩透かしを食らったような、複雑な思いが広がるのを、認めざるを得ない。
「……ごめん、紗月」
「うん?」
「いや、その……言ってなくて」
 はっきりしない私の言い方に、紗月は不思議そうな顔をした。
「春にさ、瀬名くんのこと美容室で見かけたんだって話したでしょ?」
「言ってたね」
「それから私、実は瀬名くんに会いに行ってた」 
 そうなの? たずねられて首を縦に振る。再会の件を話したとき、詳しい経緯までは伝えていなかった。
「会いに行ったんだけど、でもそのとき向こうは私が同級生だって気づいてなかった。美容室に瀬名くんが来てくれたって話したでしょ? それ、私に謝るためだったの」
 モニターに流れる独自の音楽コンテンツ、明るい音楽。廊下から漏れ伝わってくるエコーがかかった盛り上がり。
 ここはカラオケだけど、それらはこの部屋にまるで合っていない。
「そういう行き違いもあって、私、ちょっと前に聞いてたんだ。その、人の顔が……って。だから、言ってなくてごめん」
 語尾にかけて声がしぼんでいく。
「何で夏々花が謝るの?」
「……わかんない」
「私に伝えなかったのは夏々花の優しさじゃん。瀬名のこと思ってのことでしょ?」
 視野の外で、紗月が私の隣に腰掛けた。ソファがわずかに沈む。
「顔のこと。あたしに教えたのは佐藤の友達だからって、瀬名言ってた」
  佐藤の友達だから知っておいてほしいのだと、瀬名くんは紗月に言ったのだという。
「南雲とまた会えたのも夏々花のおかげだって。瀬名、すごい感謝してたんだよ?」
 それなのに何で謝ってんの、と紗月は笑い飛ばした。だけど、私の気持ちは駅での二人のやりとりを知る前より落ちていた。
「……私、瀬名くんに感謝されるような人じゃない」
「夏々花?」
「だって私ずるいから。瀬名くんにひさしぶりに会ったとき、ひどいこと考えてた」
 ひどいこと? 紗月は聞き返す。
 九年ぶりに言葉を交わし、そして彼が私に気づいていないことを悟ったとき。 彼の事情も知らず、私は何を思っていた。
 相貌失認の存在。患う人の多いこと。打ち明けるのに、彼がかなりの勇気を要していたこと。
 それらを今は知っているから今日、私は車内で穂乃花を諭すことを言ったけれど、本当はそんなふうに振る舞える立場じゃない。
 瀬名くんへの気持ちと、穂乃花の永井先生に対する気持ちは、つまるところ同じなのだ──私に気づいてほしい。
 いい人ぶりたいの? 穂乃花に咎められても、私は何一つとして反論できなかった。思い当たる節がありすぎたから──
 心の濁りを吐ききるまで紗月は静かに聞いてくれていて、
「もう、考えすぎ!」
 私が言葉を継げなくなると、計ったような間の良さで、紗月は明るく笑った。
「人と接するうちに考えが変わるのは、ずるじゃなくない。逆に、その人に真剣に向き合ってるって証拠じゃん」
 そうとは素直に思えない。
「言葉も行動も目には見えないけど、想いがそのまま現れるのは行動だから、ちゃんと瀬名には伝わってるよ」
「……」
「それに夏々花だけじゃない。誰でも、好きな人の目にはいい自分で映りたいって思うものだよ」 
 言葉に持ち上げれたみたいに、私は顔を上げた。
「好きだから、どれだけ時間が経っても気づいてほしいし、気づいてくれなかったら悲しい。でも好きだから支えたいし、一緒にいたいって思うんでしょ?」
 目を見張る思いだった。
 春に再会し、今はもう、降る雨が夏の種に水をやっている。
 その間、私は何度も彼と待ち合わせ、会い、言葉を織り合わせてきたのに、どうしてこんな単純な想いに今の今まで気づけず──
 違う。とっくの昔にわかっていた。意識的に、想いに目をつぶってきた。
 高校生のときの、予告もない別れが辛かったから。そのとき、辛かったのはきっと私だけだったから。
 今でも私は、彼を好きなままなのだ。
 たとえ瀬名くんが私の姿をわからないとしても、そのわからないという見え方を私がわかれなくても、この思いだけはわかる。
 私は彼が好きなのだ。

【#15】↓


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