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「ただ、君に会いたい」#26 (最終話)【創作大賞2024・恋愛小説部門】

前話↓【#25】
https://note.com/royal_serval8408/n/ndb2c853cd433 

エピローグ

 これは運命だ。
 そう信じたがる心が、後ろ姿を目で追わせた。
 その日、家に帰ってから、もう何年もしまい込んでいたスマホに充電器を挿し込ませた。
 丸形のホームボタンがもはや新鮮だなんて思いながら、フォトアルバムを開く。遡るは高校一年の秋頃。タップしたのは体育祭の写真。夏々花と撮ったツーショット。
 懐かしさに目を細めたあと、現在使っているスマホを手に取る。検索エンジンを立ち上げ、そこに店名を入力していく。一秒後に表示された画像は店舗の外観で、少し前に俺がソファを配送した店だった。

 覚えている。あれは九年前の三月のこと。自分のツキのなさを呪った、冬と春の間の日。
「今日って佐藤休みなの?」
「さぁ? 知らね」
 終業式を終え、体育館から教室へ戻る廊下。日高へたずねると、煙たくあしらわれた。
「通知簿もらったらもう俺ら解散っしょ? なのに学校にいないってことは、休みなんだろ……あ! 田村!」
 近くを通りかかった田村を日高が呼び止める。コミュニケーション能力が高いって、きっと日高みたいな奴のことを言う。
 振り返ったショートカットの田村は、当時から夏々花と仲がよかった。
「何で今日は佐藤いねぇの?」
「風邪引いたんだって」
「風邪? サボりじゃなくて?」
 呼吸のリズムで失礼を言った日高を田村は一瞥し、さっさと廊下を進んでいってしまう。
 呆れを隠さなかった田村に、日高は不服そうに首を傾げていた。
「ところで、何でお前は佐藤が欠席してるか気にしてんだ?」
 教科書借りっぱなし? ペンとか?
 日高が言うのはどれも違った。俺は、もっと重大な忘れ物をしていた。

 終業式が行われたということはつまり、翌日からは春休みの始まり。
 生徒が次に登校するのは四月で、そのとき、俺はこの街を離れている。
 白昼、駅のホーム。ベンチに座る俺はおそらく、傍からみたら生気を失っていたと思う。
 まだギリギリ最初の高校の生徒であった、その時点で後悔が始まっていたのだ。こんなことなら、もっと早く伝えるべきだったと。
 朝の電車。授業を終えて駅までの道。電車を待ったこのホーム。
 行きに、帰り。夏々花とはたくさんの話をしてきたにもかかわらず、俺は肝心なことにかぎって伝えれていないでいた。
[俺、転校するんだ]
 惰性で持っていたスマホ。アプリを開き、メッセージを打ちかけてやめる。文章で送る話じゃない気がした。
 ──春休み、会えないかな?
 ──話したいことがある。
 次の文章が浮かんだが、頭の中でバツ印を長押しした。休みの日に会うほどの仲ではなかった。
 あれこれ迷っているうちに電車の到着アナウンスが流れ出す。終業式の日は帰宅するのが昼間なので、普段と違う時刻にやってくる電車に俺は慌てた。
 鞄を持って立ち上がり、ホームへ滑り込んできた電車に乗り込む、その一秒前。
 惜しむように俺は振り返った。辺りを見回した。夏々花の姿を探した。
 しかし当然、彼女の姿はなく、その不在に俯いた。

 夏々花との間に明確な出会いの日はない。
 いつの間にか彼女とは顔を合わせるようになり、いつしか俺は彼女の存在を記憶していた。
 ──好きです、付き合ってください。
 あれは、入学して間もないころの昼休み。廊下で呼び止められた俺は、突如として告白される。相手は同じ学校の制服を着た知らない女子。見下ろす顔が真っ赤だった。
 ──入学式のときに見かけて、一目惚れしちゃいました。
 この女子と俺に関わりはあったか。思い出そうとしていたとき、その女子はさらに顔を赤らませて言ったのだが──
 一目惚れ。その単語に、さっと心が冷え切った。俺には一生、縁のない言葉だから。
 ──外見だけで、俺の何がわかるの?
 この際聞いてしまおうかと思い、いやそれは酷だと思い直した。ごめんね、なるべく言葉柔らかに断った。
 気まずさが広がる視界、あわあわと申し訳なさそうにする女子の向こうに、俺は見つける。
 下向き加減でこちらの方向へと歩いてくる女子生徒。髪が顔を隠すように垂れている。
 色々な意味で俺には顔が見えなかった。でも夏々花だと、すぐにわかった。
 それは、いつも電車が同じだったから。
 この人は地毛なんだろうか。真面目そうに見えるけれど、染めているんだろうか。
 紺ブレザーにかかる茶髪が視界に入るとき、そんなことを思ったりしたから。
 周りとの相違点を探さないと、俺は相手を覚えられない。
 だから夏々花の髪はとてもありがたいもので、そうした俺の事情抜きにしても、個性的でいいじゃん、と思っていた。

 しかし夏々花は自分の髪が嫌いだというから、俺は驚く。
 接点ができたのは偶然だった。
 彩度の明るい茶であった夏々花の髪が、生徒指導担当の教師の目に止まってしまったのだ。
 たまたまその場にいたから会話が聞こえてしまったのだが、地毛を校則違反と指摘されるのは理不尽で、ちょっと可哀想だった。
 そうして、のちに俺は口走ってしまう。佐藤の髪が好きだと。
 失言であることにはすぐ気ついたが、言葉を足してうやむやにしようとは思わなかった。
 何となく、夏々花には自分を好きでいてほしかった。

 それから夏々花と打ち解けるのは早かった。彼女は俺を、あくまでクラスメイトとして接した。嬉しかった。
 だけど次第に、それじゃ嫌だと思う自分になった。ただのクラスメイトじゃなくて、友達になりたい。いや、友達……とも違って……。

 夏の日のホームで早坂神社の話になったとき、夏々花は誰と夏祭りに行くんだろうと気になった。聞けるものなら聞きたかった。
 田村とかの友達ならいいけど、他の奴がいるなら嫌だ。
 わがままにそんなことは思うくせに、夏々花を誘う勇気はなかった。普段と違う状況下で待ち合わせ、相貌失認に悟られたら、と思ったから。築きあげてきた関係値が元に戻ってしまうのを恐れた。
 そして、彼女に対する感情の正体に気づいていたから。

 街から去る直前の三月、転校を言い出せなかったのも。
 九年の時を経て会えたとき、その再会を運命と思ったのも、いや単に偶然だと冷静になろうとしたのも、なりきれなかったのも、全部。俺は夏々花が──

「好きだよ」
「えっ、何?」
 聞こえない、と夏々花が振り返り、俺は手元のスイッチをオフにした。
「何もない」
 ほら前向いて。言うと、促されるままに夏々花は前を向いた。
 再び俺はドライヤーの温風スイッチをオンにする。髪に手を伸ばし、わしゃわしゃと乾かしていく。夏々花は最近髪を染め、暗い髪色になった。
 そんな夏々花が声を張って俺に話しかけてくる。
「ねぇねぇ」
「慧の誕生日もうすぐじゃん?」
「そうだね」
「当日、どうやって過ごしたい?」
 ドライヤーの電源をオフにする。さっきから喋ってばかりで、なかなか濡れた髪が乾かない。ベッドに腰掛ける俺を、地べたに座った夏々花が見上げる。
「……映画、観たいな」
 それはふと浮かんだ考え。映画? と夏々花は不思議がる。
「映画は好きじゃないって、前には言ったけど、嫌いじゃないんだ」
「そうなの?」
「好きになれたらって、思ってる」
 映画に限らず、例えばドラマもそう。観ることなんて、たいそれたイベントじゃない。だけど俺には難しい。観ているうちに、登場人物が誰が誰だかわからなるから避けてきたのだ。
 うーん、と夏々花は宙を仰いだ。そののち、わかった、と明るく声を上げる。
「じゃあ……家で映画観よう!」
 外は寒いし、名案じゃん! と夏々花は俺の手を取り、興奮したようにぶんぶん振った。
「それで映画観てて、慧が気になるところがあったら言ってほしい」
「え?」
「そこまでのあらすじ、私が説明するから」
 楽しい計画を練るみたいな口ぶりだった。
「夏々花が?」
「どの俳優がどの役してるのかも、全部、慧に教える」
「……それって面倒じゃない?」
 夏々花は一度観ただけで理解できるだろうに。そんなの、夏々花にしてみたら煩わしくないだろうか?
 しかし夏々花は、面倒じゃない、と笑った。
「わからなくなったら、戻ればいいだけだよ」
 前に向き直ってスマホで何かを調べ出す。後ろから腕を回して抱きつけば、それは配信サイトで、作品リストだった。
 これはどう? いいね。こっちは私のおすすめ。面白そう。
 何気ない会話をただ交わす。
 こんな時間が、時間が連続した一日一日が、日々が、ずっと続いてほしい。
 これからも一緒にいたい。会いたいと思わないでいいほどに。

 【完】

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