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注目の感想:さよなら百葉箱

大阪メトロの百葉箱が消える日――思い出とともに


ただの観測機器のはずなのに、百葉箱には人の記憶が宿ることを感じる、素敵なエッセイでした。


百葉箱とともにあった日々

筆者は小学生のとき、電車通学の不安な気持ちとともに百葉箱を見つけたそうです。

そんなとき、クラスメイトのAちゃんが声をかけてくれた。

「このあいだ来た、編入の子やろ? いっしょに学校まで行こ?」

この何気ない一言が、筆者にとって新しい学校生活を始めるきっかけになりました。

大人になってからも、仕事で落ち込んだとき、ふと目に入った百葉箱のそばで気持ちを整理した経験がある。

百葉箱はただの箱ではなく、自分の人生の大切な場面にいつもあった存在だったんですね。


なぜ、百葉箱がこんなに愛おしいのか?

「百葉箱」という言葉を聞くと、小学校の校庭にあった箱を思い出す人も多いのではないでしょうか。

でも、大阪メトロのホームにも百葉箱があったなんて、意識していませんでした。

「そこにいつもあるもの」が、気づかぬうちに心の支えになっていることがある。

この記事を読んで、そんなことに気づかされました。


百葉箱がなくなっても、思い出は消えない

あと何回、百葉箱に会えるだろう?
筆者のそんな思いに共感しながら、ちょっと切ない気持ちになりました。

でも、百葉箱がなくなっても、そこで生まれた思い出や経験は、ずっと残り続ける。

そんなふうに考えると、ほんのり温かい気持ちにもなります。

これを読んで、大阪メトロに乗るときは、ホームの風景を少し丁寧に眺めてみようと思いました。

みなさんは、ふとしたときに思い出す「そこにいつもあったもの」ってありますか?

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