一岡山県民が栃木日光アイスバックスのパートナーに昇格できたワケ【アイスホッケー】
日光霧降アイスアリーナでのアイスバックス公式戦ではこのようなバナーを掲げて頂いております。
その経緯をお話する前に、まずご留意頂きたい点があります。岡山県にある朝日寺の名を使っておりますが、パートナー契約をさせて頂いているのは法人ではなくその住職個人ということです。
それ以上細かいことは置いといて本編に入ります。
①霧降との出会い
僕が初めて霧降で試合を見たのは2004年2月のこと。それは第38回日本リーグ後期最終戦。生でアイスホッケーを見てから約2年後のことだった。アイスホッケーの大まかなルールや見方が分かってきて、当時は主要アリーナをぼちぼち探訪していた。
初観戦した名古屋と首都圏での雰囲気(主に観客)の違いを感じ、もっと他の会場も行ってみたいと思っていたのだ。
霧降の雰囲気は特に衝撃的だった。
チームの歴史経緯や経済的背景、ファンの熱心さはある程度知っていたが、霧降には“行った者にしか分からない雰囲気”があり、色んな意味で驚いた。
後期リーグ0勝…、でも会場は超満員、そして何より印象的だったのは何とも言えない一体感。
大声を出して応援する人も、じっと見つめている人も、カメラ構えている人も、みんな何の分け隔てもなく、みんな同じベクトルを向いている。
観客数は2000人。この規模でこんな一体感のある雰囲気は初めての経験だった。
この圧倒的な雰囲気の中、隅っこに固まって応援していた日本製紙クレインズファンの応援も絶妙なスパイスだった。
失礼な言い方だが『絶滅危惧種を見守る人達』に映った。僕の目には。
そこから僕は知らず知らずのうちにアイスバックスを応援したくなったのである。
②ファンクラブでのエピソード
アイスバックスを応援するようになってファンクラブに入会した。(当時年間3000円だったかな!?)
アイスバックスがお金にかなり困っているチームであることは重々承知していたので、年会費は“お布施”のつもりで徐々にファンクラブのランクを上げていった。アイスバックスのファンクラブはお手軽なものからハイグレードなものまで複数の設定がある。ハイグレード会員にはハイグレードな特典が付いている。
しかし、だ。
僕にとっての問題は特典グッズだった。
これは人それぞれの価値観や好みの問題だが、特典グッズといってもアタリの年もあればハズレの年もある。ハズレの品でも捨てるに捨てられず、部屋の狭い押入れが年々詰まっていく。
ある霧降での試合でチームスタッフさんに、
「特典グッズ辞退制度設けては?」
「グッズ代、配送費を運営費に回してもらいたい。」
「僕と同じことを思っているファンは他にもいるのでは?」
と問うた。
するとそのスタッフさんは少し間をあけて、
「ちょっと難しそうですね…」
というお返事だった。
③パートナーへの移籍
その後ファンクラブ会員を続けているうちにあることを思った。うちの寺の名前で協賛広告を出せないか、と。
「あれっていくらからですか?」
と問い合わせて、お聞きした額は僕の中で検討出来るものだった。
でも一度始めてすぐに撤退するとこちらは申し訳ないし、周りの印象も良くなかろう。
中長期的なことをしばらく考えた末、パートナーの一員へと“移籍”させて頂く運びとなった。
そこからいつの間にか10年以上が経ち、ひとつの節目はクリアできた。
④パートナーへ移籍して
パートナーにはファンクラブと違うプライスレスな良いことがたくさんあった。これが実に面白い。
話せる範囲で一番に思い浮かぶのは、試合会場とはまた違う出会いが新たにあったこと。地元の方はもちろんたくさん居るし、僕のようにファンの延長線という方も栃木県内外に実は結構居るのである。
どちらの方もアイスバックス、アイスホッケー、スポーツ、などを語り出すと熱い熱い!!
「スポーツ観戦(スポーツ支援含む)すると友達が増える」とはアイスバックスのシニアディレクターセルジオ越後さんの仰る通りだ。
地域密着を掲げたスポーツチーム運営はJリーグ発足以降のトレンドだが、いくら同じ場所で活動していても心も地域に密着出来なければ、それは地域密着にはなり得ないと思っている。
逆に、密着できる心が伝われば地域外からも共感が得られるということではなかろうか。
⑤最後に
とは言え今後“僕の会計合理化の一環で”撤退する可能性は大いにある。でもアイスバックスは絶対に大丈夫。
僕が抜けたところで蚊に食われたほどにもならない。
そこが一企業に依存しない日本初のプロアイスホッケークラブ(市民チーム)H.C.栃木日光アイスバックスの理念そのものなのではないか。
アイスバックスやアイスホッケーに限らなくてもいい、スポーツチームスポンサードのハードルが高いという先入観は捨てて、応援や投資のあり方としてぜひ多くの方にご検討頂きたいと切に願う。