自分自身をわくわくさせる、生まれてきたことの意味を痛感する 好きになるときは、いつだって
なぜ物を好きになるのか
自分自身をわくわくさせる、生まれてきたことの意味を痛感する
擬人化する、人と人を繋げる、自分の一部と化す、
それらがあって好きになる
好きになった後にそれらがある気がする
完全なイコールではない気がする 方向と順序がある
思われたいより思われたくない
正より負の印象への忌避感
誤解を嫌うが大勢に称賛されたいわけでもない
誤解は面倒ごとを呼び寄せる
ただ自分が尊敬してる人からの承認は嬉しい
自分自身はボロカスに言われても自分が好きなモノを悪くいわれるのは嫌
いや悪くいわれることはいい 冷静じゃない、本人に伝わり影響があることに吐き気を催してる
自分よりも好きなモノは自分ではないから。印象が変わったり、死なれたり萎えられると困るから。
一方で一部になるモノ 糧となるモノ
寝取られる感覚はわからない寄り
独占できるほど自分の能力は高くない。対等ではない。自惚れてないと思いたい。他者を介在しない傲慢さは嫌いじゃない それは傲慢ではなく自信なのかもれしないけど。
別に自分自身が好きなモノは一つじゃない 多ければ多い方がいい かけがいのないモノを量産してる
現実では浮気するほど外に出ないし、そんな魅力的でないから物理的にも現実的にもあり得ない。到達しないし、そもそもできない
1つにベットしない いずれ冷める、終えるときが怖い かけがいのないモノが0になることが何よりも怖い 孤独死よりも
それは0になることが孤独になるからではない
孤独死は満足すればそれでいいが、0になるときはまだ生きている
書いているときに気づいたけど
0になることではなく、0で居続けることへの恐怖 今後現れないかもしれない ネガティブな将来観測が不安なんだ
なぜ物を好きになるのかではない
因果が逆な気がする 冒頭
そんなことを思った
孤独な人ほど「現実の友人」と「架空のキャラ」に対する脳活動パターンが同じになるみたいな研究結果を思い出した
パラソーシャル関係とかも コメ欄とかではよく見る気がする
孤独を気にしなくても幸せだと言える 逆に友人はリスクが大きい 振れ幅 暇じゃない、いつも理論値を出してくれない
脳内のリソースを他者に奪われるのがひどく嫌なんだろう