好きの反対は無関心に納得がいかない
好き嫌いの話になるとそれを言い出す人がいる。
ズレてると感じる。
プラスとマイナスの話をしているのに
ゼロの話を持ち出してる
好きと嫌いとは何か考えてみる。
好きとは楽しい気持ちになる。語れば語るだけ楽しい。
増幅しても何も損はない。優先順位が高いものを蔑ろにしてしまうこともある。いつでもできるから時間の無駄
嫌いは負のエネルギーを生み出す
1人では時間を無駄にするだけ。
2人以上なら延長線上に共感と仲間がいた安心で
楽しくなる可能性はある。それでも怒りを増幅させて一生へばりついてくることには変わりない。そのヘイトや負の感情は創作に役立つこともあるから無価値ではないが、毎日することでもない。
無関心は何も生み出さない
盛り上がらないし、楽しくない
無関心で食わず嫌いなものが関心に変わった場合は
既に無関心ではないから適用されない
興味がある理由が好きなのか嫌いなのか
エネルギーを産むか産まないかという意味で反対というならば
好きと嫌いの反対は無関心である。
熱量があるもの
熱量の性質の話に対して熱量の有無という別軸を持ってきて
反対というのは変な感じがする
定義と条件を同じにして話をしたい
好きと嫌いは似ている。
感情は正反対でも、生み出している。
嫌いは分かち合う人がいると盛り上がると楽しい。
もちろん好きは1人でも楽しい。
なぜ好きの反対は無関心と言いたいのか
嫌いという感情をボヤかしてる。
有耶無耶にして
仲間判定にしてるって印象がある。
平和主義者でなあなあ
にしてる
思考を放棄してる
自らの感情の理由を言語化する手間をめんどくさがってる
そういう常套句で会話に対してスカしてる感が気に食わない。
感情はむき出しにしつつも理性をゼロにせず会話をする。
好きと嫌いは罵り合いなら意義はない。
でも互いに納得できる箇所はあるかもしれない。
そこにだから何みたいな
無関心の話をされるのが嫌