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バンジー飛んだら大地が広がっていた!

バンジー飛ぶ=学校教育のレールを降りること。わかっていても、100万回誰かに「大丈夫」って言われても怖いんですよ、飛ぶの。だってうまく行かないかもしれない。失敗するかもしれない。
その気持ち、よくわかります。私もとっても怖かった。と言いますか、飛ぶという選択肢があることすら知りませんでした。レールから降りてもいい、そういう選択肢があるということを知ったのは偶然目にしたあるサイトからでした。「ニュージーランド母子留学」母子留学?母子だけで海外生活?そんなこと許されるの?読み進めていくうちに「これは素晴らしいことかもしれない」と思い、すぐに説明会に申し込みました。

この説明会がきっかけとなり、話はとんとん拍子に進んで母子3人の海外生活が始まるわけですが、当時は賛成してくれる人はごくわずか。お金の無駄遣い、意味がない、義務教育はどうするの、と批判を受けたこともありました。4年半の海外生活はいつも楽しいことばかりではありませんでしたが、日本にいるだけでは得られない価値観を得られたと思っています。
現在、日本という教育環境の中で苦しんでいる親御さん、何か違うと思うけど解決策が見つからない親御さんのヒントになれば幸いです。

夢を追いかけて行ってみたいけど

母子留学という選択にはまずは夫の協力が必要です。でも絶対無理、と思っていました。1人日本に残って仕事をして、仕送りをして、そんなことに賛成してくれる人がいるわけない。と思っていました。
ある偶然から、夫が母子留学の説明会に出席することになり、夫は渋々参加しました。しかし、この説明会がきっかけとなり、いちばん乗り気になったのは夫でした。子どもたちは学校に通学、母親の私も学校に通って永住権取得を目指すこと。こうすることで子どもの将来的な選択肢が広がることになる。この考えに夫は賛成でした。

どの国を選ぶ?

そこで、大切になるのが治安です。母子だけでも安全に暮らせる治安の良い国。出席した説明会は、ニュージーランドを専門にしているエージェントでした。治安も留学生受け入れ体制も永住権取得の条件も全て整っているニュージーランドに絞って母子留学を真剣に考え始めました。

お金はいくらかかるの?

一体いくらかかるのか、全く想像もできない中、エージェントがおおよその目安額を提示してくれたことで、実現不可能ではないことがわかりました。当時2件の家があったので、1件は売ることを決意。とりあえず3年間はどうにかなりそうだということで、実現可能なところまで近づきました。

義務教育どうするの?

あとは子どもたちの教育問題です。当時はまだ少ない母子留学者のブログを読む限り、現地の学校に通うことで問題ないとわかりました。帰国後も困らないように日本人学校に週末のみ通うという選択肢もあるようでした。滞在する国や地域によって違いはあるものの、子どもたちは14歳と11歳、すでに日本語の基礎はできているので、日本語習得に関する心配は一切ありませんでした。海外在住者には領事館を通して義務教育中は日本で使われている教科書が無料配布されます。最低限の知識はこの教科書を読むことでつけられます。現地校通学と日本の教科書を読む、これで義務教育はカバーできると思いました。

英語がわからない

私自身、留学経験があったので、英語の生活圏に入ってしまえばそのうちどうにかなると思っていました。1年目で英語に慣れ、2年目で楽しくなり、3年居ればネイティブに近くなるのではという安楽な考えでした。それにニュージーランドでは留学生受け入れ体制も整っているので心配はありませんでしたが、念の為、英語での生活や日本人以外の人との交流に慣れるため3ヶ月間、語学学校に通いました。そこで少し自信をつけて現地校に入学したので、全くわからずにいきなり現地校に入るよりも楽しめたかもしれません。

帰国後はどうする?

母子留学で何年海外生活をするか。大学進学を目処に帰国される方が多いように感じました。大学生になれば子ども1人でも留学できるし、日本の大学に進学するとしても、当時は帰国子女扱いで受験できることも魅力だったかもしれません。
17、8歳になれば自分の考えも出てきますから、親がどうこう言うまでもなく、自分で進路を決めて自分で動くようになります。
大変なのは、幼い頃から海外に出て、日本の小学校や中学校に戻ると言う場合です。海外では個性や自主性を大切にされていたのに、日本に戻った途端に「周りに合わせる」とか「考えを主張しない」ことが大切になったりするので、敏感な年齢の子どもたちは混乱し、うまく環境に適応できないこともよくあります。海外の環境に慣れるより、日本への再適応の方が難しいかもしれません。そういう時は帰国子女用の相談プログラムも用意されているので、頼ってみて良いと思います。この年齢で「自分てなぁに?」と向き合わなければならないことは、苦しくはあっても長い人生で考えれば、とても有益なことだと思います。

バンジーを飛んだあと


とにかく、最初に日本を出る時がいちばん怖かったです。「失敗したらどうしよう」引越す準備をしながら毎日考えました。考え疲れたある日、「失敗ってなんだろう?そもそも行かないことこそが、私にとっての失敗ではないか?今行かなければ、きっと10年後には後悔する」と思いました。結局ニュージーランドには8ヶ月滞在しただけで、その後はヨーロッパに拠点を移しましたが、バンジーを飛ぶ怖さがあったのは日本を出る時だけでした。日本か海外か、そういう感じです。バンジーを飛んで日本を出たあとは、ひたすら夢を追いかけて毎日を過ごしていたように感じます。日本の教育のレールを外れること=バンジーを飛ぶ。みんなと同じではなくなる怖さ。守られるものがなくなるような怖さ。自己責任で、自分で決めていかなければならなくなる怖さ。さまざまな怖さがありますが、バンジーを飛んだ経験から私が確信できるのは、レールを降りたらそこには大地が広がっているということ。私たちは母子留学という形でレールを降りましたが、そのやり方はいろいろあると思います。小学校、中学校、高校、大学の順に進んでいく、ということさえ幻です。現に子どもたちは海外の大学に進学後、通信教育で日本の高校を卒業しました。こういう進路を想定していたわけではなく、結果的にそうなったというだけなのですが、こういうこともあるのだと知っているだけで、少しはレールを外れる怖さが薄らげばいいな、と思っています。現在では通信教育制度もさまざまあります。学校に行かない、というのは1つの選択肢であって、マイナスのことではないのです。人と同じようにできないということは、人とは違うことができるということ。自信を持ってバンジーを飛んでください!そこには飛んだ人にしか感じられない大地が広がっています!





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