All You Wanna Do(ミュージカル「SIX」)
この曲は、本作品の中で最も強く病理性が打ち出された一曲で、
聴いている側も、気楽に手拍子していられなくなる迫力があります。
認知の歪みが成長と共にある意味でまともになっていくのに、
気が付いた時には抜け出せなくなっていた、という実に悲しい歌です。
・I’m the ten amongst these threes
「みんな3点の中で、私は10点」の意味。
「Haus of Holbein」同様、10点満点なのだと思われるが、Katherine Howardがこんなに自信満々な理由は、続いて歌われる"男性による承認"だとすると、悲しすぎる…
・I was young, it’s true
But even then I knew
The only thing you wanna do is…
「たしかに私は若かった
でもその時にはもう分かってた
あなたがしたいたった一つのことは…」の意味。
1番目の男Henry Manoxについて歌う部分。
この歌詞の後にキスを擬したリップ音があることから、「たった一つのこと」が性的なことが示唆されている。
「even then I knew」は、子供の時の性経験について、大人になってから振り返り、「当時、自分はその意味を十分分かった上で、自分の自由意志で決めた」と思い込もうとしているように聞こえる。それって典型的なグルーミング(下記参照)の被害者の思考…。
・Taught me all about dynamics
「(彼は)強弱について全て教えてくれた」の意味。
1番目の男が音楽の先生なので、dynamicsは、音楽の強弱というのが表面上の意味だが、別の強弱もあるのでは…というゲスい話。
また、大人が子供を性的搾取するという、いわゆる弱肉強食関係というニュアンスもあるか。
・He was twenty three
And I was thirteen
Going on thirty
「彼は23歳
で私は13歳
そして私は大人になった」の意味。
23と13!当時の慣習とか色々あるのは分かるけれど、23と13!
一説には相手はもっと上って説も!まぁ上なのはともかく、とにかく13!
「Going on thirty」は直訳すると、「30歳になる」だが、意訳すれば「大人になった」か。日本の来日版も同様の訳。20でなく30というところが精神的にぐっと大人になったということなのだろうが、一気に老けたというニュアンスにも取れる(決して30が老けているという意味ではなく、年齢の上がり方が極端であるという意味)。
なお、ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の中に「Sixteen Going On Seventeen」という曲があり、「I am sixteen Going on seventeen」(私は16歳、もうすぐ17歳になる」という一節があることから、「I was thirteen Going on thirty」はそのオマージュと思われる(ちなみに、「Sixteen Going On Seventeen」は、1歳年上の彼氏との淡い恋愛模様が繰り広げられる、とても明るい一曲で、本曲とは対比的…)。
・He plucked my strings all the way to G
Went from major to minor
C to D
「彼は私の弦でGコードを奏でた
長調から短調まで
CコードからDコードまで」の意味。
直前にlute(リュート)という弦楽器の話が出てくることから、音楽の歌詞になっているが、majorとminorという単語には「成年」「未成年」の意味があり、また、どうやらCとDは、女性と男性の性器を示す隠語らしいことなどを考えると、大人が子供の思慮の浅さに付け込んで性虐待に及ぶ、いわゆる「グルーミング」のことを示していると考えられる。
そのため、「G」は女性の性的なものを、楽器の演奏も"プレイ"を、それぞれ暗喩しており、2番目の男のパートで「手が疲れる」も同趣旨だろう(それぞれ、Katherine Howardが手の小指から人差し指まで、意味深にマイクを握り直す振り付け)。
・All you wanna do
All you wanna do, baby’s
Please me, squeeze me
Birds and the bees me
「あなたがしたいこと
ベイビー、あなたがしたいことは
私を楽しませること、私を抱きしめること
私に性の手ほどきすること」の意味。
squeezeは絞るという意味があり、「squeeze me」は「抱きしめる」のほかに、「搾り取る」という性的搾取を促すニュアンスがある。
Birds and the beesは、性教育に鳥や蜂を用いて説明することから、性教育を行うこと、性的行為の手解きをすることを意味するらしい。
・Tell me I’m the fairest of the fair
「私のこと、一番綺麗だって言って」の意味。
グルーミングが大人が子供の思慮の浅さに付け込むunfair(アンフェア)なものであることを考えると、大人のunfairさと子供のfairさの対比か。
この「fair」の時に、Katherine Howardが長いポニーテールの髪の毛(hair)を触る振り付け。
・Playtime’s over
「遊びの時間はもうおしまい」の意味。
最初は子供でいられた時間は過ぎた、処女喪失、といったニュアンスか…。
このフレーズが4回繰り返される中で、Katherine Howardが追い込まれていく。
・I decided to have a break from boys
「男とは距離を置くことに決めた」の意味。
1番目の男に続き、2番目の男Francis Derehamとも別れたことから、Katherine Howardは、男に熱中するのではなく、仕事に集中することに決める。そこで3番目の男ヘンリー8世と出会い…↓
・I’m all you need
And all you want, we both agree
This is the place for me
I’m finally where I’m meant to be
「私があなたに必要で、
望む全てだと、私たち二人とも分かった
ここが私のための場所
私はようやく私のいるべき場所に辿り着いた」の意味。
こうして仕事に生きるかと思いきや…↓
・Then he starts saying all this stuff
He cares so much, he calls me ‘love’
He says we have this connection
I guess it’s not so different
「すると彼がこんなことを言い出した
彼は私のことを大事にするとか、私を恋人だって言うとか
彼と私の間にはこれだけの強い心の結び付きがあるとか
私は、彼は今までの男と大して違わないと思った」の意味。
1番目の男や2番目の男の時は、ここのフレーズで相思相愛感が全面に押し出されているのに対し、ここでは、ヘンリー8世が関係を持つことを積極的に望んでおり、他方で、Katherine Howardの方はそれほど望んでいなかった、ということが「He」を主語とした3文と「I」を主語とした最後の1文との対比で示されている。
・Seize me, squeeze me
「私を捕まえること、私から搾り取ること」の意味。
1サビ・2サビで「Please me」だったのが、ヘンリー8世について、より暴力的で強い表現に変わっており、また、seizeにより結婚が示唆されている。
・This guy, finally
Is what I want, the friend I need
Just mates, no chemistry
「ようやく出会えたこの人が
私の望んでいた、本当に必要な友達
ただの友達、ドキドキはなし」の意味。
ヘンリー8世の後に出会った、4番目の男Thomasについて歌った部分だが、前にも書いてあるとおりfinally(最終的に)という単語はヘンリー8世にも使っており、2度目。ついつい「この人こそ」と思ってしまい、依存してしまうKatherine Howardの心情が表れている。
また、1番目の男・2番目の男に感じていたchemistryを4番目の男には感じない、と歌い、性的な関係はないのかと思いきや…↓
・He says we have a connection
「彼も私たちの間に心の結び付きがあると言う」の意味。
結局、1番目から3番目までの男と同じことになり…↓
・when will be
Enough be enough?
「こんなこと、いつになったら終わる?(もう十分)」
1サビから3サビまで、「(私の魅力で)男が私に飽きない」(Can’t get enough)という言葉だったのが、Katherine Howardのもう耐えられないという心情が表された、強い言葉に変わる。
・don’t care
If you don’t please me
「私を喜ばせてくれないなら
もう構わないで」の意味。
男がしたいこととしての「please me」ではなく、Katherine Howardが本当に自分を喜ばせてくれる人を望んでいるということ。
・Bite my lip and pull my hair
As you tell me I’m the fairest of the fair
「あなたは、私の唇を噛んで、私の髪の毛を掴みながら
私のことが世界で一番綺麗だと言う」の意味。
今で言うDV。3番目の男か4番目の男かは明示されないが、DVの極致が殺人であること、最後に息を引き取るようなブレス音が残され、照明により斬首を連想させることからすると、主体はヘンリー8世と見るのが妥当か。
・Playtime’s over
「お遊びの時間はもうおしまい」
4回目のこのフレーズは、生きていられる時間が終わることを示している。
・6人の王妃が順番に歌う本作品と、4人の男について順番に歌っていくこの曲は、入れ子構造になっている。
しかし、1人の王様に6人の妻がいたことと、1人の女性が4人の男性と関係を持ったこととを比べると(条件を合わせるために、後者を「1人の女性に4人の夫がいたこと」と仮定してもかまいません)、一般的に、後者が前者よりも不道徳に受け止められてしまうのは、なぜなんでしょうね?
(「Ex-Wives」でもKatherine Howardが自分のことをpromiscuity(不道徳性)と歌っている)
※ 単なる一ファンによる考察又は妄想です。