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「エレファントヘッド」から現代の推理小説を考える。ミステリーへの絶望
冒頭にお断りしますが、この記事はあくまで私の感想をベースとしたものです。あらすじは理解されている前提で書かれています。
「エレファントヘッド」(白井智之著)は2023年に角川書店より刊行された。
「謎もトリックも展開もすべてネタバレ禁止!
前代未聞のストーリー、尋常ならざる伏線の数々。
多重解決ミステリの極限!」
と銘打たれている。
私は中学時代、ミステリー小説に傾倒した。三年間で1000冊は読んだのではないだろうか。「ミステリ古今東西ベスト100」を順に読むところから始め、国内外関係なく多くの作品を読んできた。
高校に進学してからはバスケットボール部の活動に真剣になり、読書の時間は相対的に減った。
大学進学を機に再び読書を始め、久々に手に取ったミステリー小説が「エレファントヘッド」であった。『2024本格ミステリ・ベスト10』(原書房刊/探偵小説研究会編著)国内ランキングの第1位をとったそうだ。
当然期待値は高い。
読み始めて早々、その世界感に引き込まれた。
まず精神病を扱っているテーマが新鮮で、冒頭から二転三転する展開が読者を飽きさせない。
「フミヤ」にまつわる物語と、その後の象山の人物像がわかるにつれて、私は本作に強く惹かれていった。「これはおもしろい!!!」と。
しかし、読み進めるにつれがっかりした。
まず序盤の「フミヤ」にまつわる展開から一転、いきなりファンタジーに突入したのだ。このファンタジー系(正確な呼称は知らない)は現代に多く見られる共通項である。
近年であれば「虚構推理」のメディアミックスによるヒットは記憶に新しい。少し昔の作品で有れば、「七回死んだ男」の完成度は見事であった。
このファンタジー展開まではまだ理解できる。おそらくこの四つの人格と時間軸が鍵になるのだろうと読み進めた。するとどうだ、今度は、どこかの時間軸で死んだ人は他の世界戦でも同じ死に方をするという二つ目のファンタジー設定が追加された。
ここまできて私は、この作品に対しかなり興味を失っていた。物語として読むにはおもしろいのかもしれないが、私はミステリー小説をよみたかったのである。
1つのファンタジー要素ならまだ許容できる。しかし、二つ目の設定まで付け加えられては、あまりにも作者側の都合に合わせすぎではないのだろうか。
そして、その上で最後まで読むと、特にひとつひとつに面白味のない多重解決で締めくくられていた。最後にどんでん返しのようなものはあるにはあったが、膝を打つほど衝撃的な展開でもなかった。さらに、序盤に出てきた「フミヤ」が再登場しないことにも怒りを感じた。
一人称までしておいて本当につかいきりのキャラクターだったのか。基本的に「謎ときに関係ない要素は極力入れない」という新本格推理にどっぷり染まった私からするとまったく理解できないものだった。
序盤で確かに感じた、「匣の中の失楽」に近いポテンシャルはどこへいってしまったのか。
以上が「私が感じた」この作品の感想である。
同時に現代ミステリーの潮流をなんとなく読み取った。
現代のミステリーとは、あの手この手で読者に刺激を与え続けなければいけないのだ。
序盤で事件が起きる。400ページ近く探偵が捜査を行い(たまに第二、三の事件が起きることはある)最後の30ページで解決編。
いわゆる本格、新本格ミステリーとはこの30ページのために400ページを読む作業であり、これは現代のタイム・パフォーマンス志向に真っ向から反する。
だからこそ、現代のミステリーは文学として面白くなくてはいけない。売れるために。
解決編までの400ページにかけて刺激的な展開を続け、読者をつなぎとめる必要があるのだ。
だからこそ、このようなファンタジー要素を付け加えて先を読めなくしている。
つまり私のように新本格に染まった人間が古いのであろう。時代遅れは淘汰されるべきなのかもしれない。
推理小説とはやりつくされたスタイルだ。悲しいがそれは間違いがない。
技術の発達によりこの世から「謎」というものはなくなってきている。
この時代おいて、「謎」で勝負することはほぼ不可能に近い。新しいモノはやりつくされている以上、それぞれを組み合わせて新しいもののように見せかけるしかない。他のあらゆる分野でそれが試みられている。それだって非常に難しい作業だ。
そしてミステリーはその作業と極端に相性が悪い。
よほどうまくやらない限り、複数のネタを組み合わせることにより複雑化したトリックに驚きはなく、ただ「あ、そうなんすね・・・」程度の感想しか生まないからだ。(少なくとも私はそう思う)
私は幼少期に「オリエント急行殺人事件」を読んだ衝撃は忘れない。あれほど単純かつ思い至らないトリックは他にあるだろうか。
あの驚きを感じたくて私はミステリーに傾倒したのだ。
ここまででわかってもらえたように、私が推理小説に求めているのは、「盲点を突かれる驚き」である。
決して数学の証明のように長々と複雑な解をみせられることではない。
その点でいえば、「エレファントヘッド」の回答編は私の興味を満たす水準には達していなかったのが正直なところである。
さまざま論理的に積み上げるのは良いが、どうも作者に都合がよい事実だけならべているようで納得がいかない。
だからこそ、私はもうミステリーを読むべきでないのかもしれない。
もしくは、ひたすら過去の作品をあさり、新規作品を批判する老害と化するしかないのかもしれない。