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映画評|『違う惑星の変な恋人』 アトラクションのない楽しいディズニーランド

 この類まれな映画を言葉で表現するのは難しい。「とても面白い演劇を見ているようだった」「途中で何度も吹き出した」「見終わってハッピーな気持ちになった」「オフビートな感じがコーエン兄弟やタランティーノに似ている」「パンティ論争って何?」「筧美和子ってこんなに演技が上手だったっけ?」「中島歩ワールドが全開している」「それにしてもあのセリフの“間”は何?」「カーチェイスも殺人もないのに、なんでこんなに飽きないのか」

  どの表現もちょっと違う。的を外している気がする。この映画にはもっと深い何かかがある。それとも深さなんて全然ないのかもしれない。ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」という本のタイトルが浮かんでくる(そういえば中島歩は、同書の主人公トマシュに似ている。映画ではダニエル・デイ・ルイスが演じていた)。なにはともあれ、捉えどころのなさは超一級品だ。

  この映画は吉祥寺のUPLINKで観た。予告編が面白かったからだ。複雑に入り組んだ四角関係を解決しようとする場面で、中島渉(ベンジー)が皆の前で言う。「俺(中島歩)はグリコ(筧美和子)のことが好き。グリコはモーくん(網啓永)が好き。モーくんはむっちゃん(莉子)が好き。むっちゃんは俺のことが好きっていう。どこの好きのベクトルも交わってない状態なわけね。(間)え、ここまで問題ないよね?」

  カメラワークの特徴は長回しだ。それが舞台劇のような効果を生んでいる。固定されたフレームのなかで、役者たちは延々と話をしている。話の内容のほとんどは妙な屁理屈であり、不毛な言い訳だ。なのに、思わず耳を傾けてしまう。凡庸なつじつま合わせのダイアローグはひとつもない。会話とはクリエイティブの根源なのだとあらためて思う。

  監督と出演者の舞台挨拶の様子が、いくつかYouTubeにあげられている。それによると木村監督は変な人らしい。自分でも「人見知りだ」と言っている。手書きで脚本を書いていたが、途中で行き詰まったので、サッカーの話題を入れることにしたという(ちょうどW杯が開催されていた時だった)。サッカーが大好きで、早く50歳くらいになって映画監督を引退し、少年サッカーチームの指導者になりたいという。脚本を完璧につくるので現場では細かな演技指導はなく、パスの出しどころは役者に任せていたという。

  木村聡志ワールドとはなにか? それはアトラクションのないディズニーランドのようなものだと思う。チケットを買って中に入ると、長い列に並んでいる人たちがいる。列に並びながら、おおぜいのカップルが取るに足らないことを話している。だが列をたどっていってもアトラクションはどこにも見当たらない。カリブの海賊もスペースマウンテンもない。ではいったい彼らはなんのために列をつくって並んでいるのか? それは順番を待つあいだにおしゃべりをするためだ。でもアトラクションがないからといって、怒り出す人はない。十分に元が取れている。

  ちなみに世の中に、ベンジー(中島歩)に似ていると恋人から思われている男性は多いのではないだろうか。人の話を聞いているようで聞いていない。モテるけれど、言い寄られると困惑する。喧嘩は嫌いで、問題があるならば穏やかに解決したい。どちらかといえば誠実で優しい。けれども結果的に調子がよい。手を伸ばせば届くものは、とりあえず貰っておく。そこに悪気はない。優柔不断とも言える。でもなんかいい人っぽいし、好感度は高い。ま、仕方ないか、と女性たちに思われている男性――。

  U-NEXTでは、その中島歩が出演している料理のドラマ「A Table!」も配信されている。相手役は市川実日子。このドラマでは、中島歩ワールドの別バージョンを見ることができる。木村聡志ワールドの圏外に置かれた中島歩ワールドとは如何なるものか。これはこれでかなり魅力的だと思う。

(2023年 日本映画 第36回東京国際映画祭アジアの未来部門正式出品作品 監督:木村聡志 U-NEXTで視聴可能)

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