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映画評|『終わらない週末』 不穏なエントロピーは拡大し、宿題が残される

 ある週末、アマンダ(ジュリア・ロバーツ)と夫のクレイ(イーサン・ホーク)は、息子と娘を連れて、レンタルした郊外の豪華な別荘にやってくる。都会の喧騒から逃れ、ゆったりと寛ごうとする一家。やがてちょっとした異変が起こり始める。スマホやモバイルが使えなくなる。ビーチに行くと、巨大なタンカーが突進してきて砂浜に座礁する。

 深夜、別荘の玄関のドアがノックされる。扉を開けると、黒人の父娘がいる。父G・H(マハーシャラ・アリ)は、自分はこの家の持ち主で、「市内が停電したので引き返してきた。地下室に泊まらせてくれ」という。アマンダは不審に思う。この父娘は本当にこの家のオーナーなのか? テレビを見ると番組が中断され、国家非常事態宣言が発令されている。何か重大なことが起こっているのだが、何が起こっているのかわからない。

 動物たちは本能で異変を感じている。野生の鹿たちが集団で現れ、フラミンゴがプールに飛来し、蝉たちが鳴くことをやめる。だがアマンダの心配事は、はたして黒人の父娘を信頼していいのかどうか。神経質なアマンダと、善良な小市民のクレイ。息子は黒人の娘をスマホで盗撮し、娘はドラマ『フレンズ』の最終回を見られないので怒っている。高速道路は無人の車がクラッシュし、市内には戻れない。全編を通じて流れる不穏な旋律。

「災害ユートピア」という言葉がある。天変地異が起こると、人々は善意にもとづいて行動しようとする。そこに日常生活ではありえない理想の「ユートピア」が誕生する。こうした悪夢的なシチュエーションに魅惑されるのは、もしかしたら私たちが「ユートピア」を求めているからなのかもしれない。だが、映画のなかの事態は刻々と悪化していく。
 
 興味深いのはカメラワークだ。豪華な別荘を輪切りにするようにカメラは上下に移動する。登場人物たちは、黄金比の立ち位置で演技をする。窓から見えるプール、子どもたちが飛び込んで飛沫が上がる、ワインの瓶、トマトを切る包丁、芝生の向こうに現れる鹿の親子、憂鬱そうなアマンダの横顔。まるでモダンな空虚さを定着させるエドワード・ホッパーの絵のようだ。
  
 いったい世界はどうなってしまったのか。ある陰謀論的なヒントが示されるが、本当かどうかはわからない。真実がわかったところで、何がどうなるというのだろう? 大切なのは情報の把握ではなく、巻き込まれた状況下で、自分がどのように振る舞えばよいのか、ということなのではないか。結局のところ、人間は無力なのだ。でも、選択することはできる。

 製作には、この映画のシナリオに惚れ込んだという、バラク・オバマとミシェル・オバマが名を連ねている。元アメリカ大統領夫妻は、この物語のどこに興味を持ったのか。彼らもまた「災害ユートピア」を希求しているのだろうか。映画の結末は秀逸だ。まるで予定調和ではない。エントロピーは拡大する。私たちに宿題が残される。でもそれは決して不快ではない。原題は「Leave the World Behind」。直訳すれば「世界を置き去りにする」。不穏な世界に逃避したい気分の週末には、うってつけの映画だ。

(2023年 アメリカ映画 監督:サム・エスメイル Netflixで視聴可能)


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