続・他人の落書きってどうしてあんなに魅力的なんだろう
以前投稿した「他人の落書きってどうしてあんなに魅力的なんだろうという」記事が思ったよりも多くの方に見てもらえているようで、花冠はとてもニコニコです。
さて今回は、他人の落書き大好き芸人な私が大興奮した展覧会を共有したいと思います。
「ヨシタケシンスケ展かもしれない」
他人の落書き大好き仲間の皆さんであればきっと小躍りするほど面白い展覧会だと思う。
床から天井に届くほどに並んだスケッチは何時間でもみていられそうだった。
もちろんヨシタケシンスケ先生のスケッチを落書きなんて呼んではいけないことは百も承知です。ただ落書き好きの民に刺さるよということで紹介したいのです。何卒ご容赦いただきたく…
そこには、まっくろけっけになるほど焦がれに焦がれる圧倒的な世界観が確固として存在していた。
個人的に、落書きは力が抜けていれば抜けているほど魅力を感じる。つまんない授業をBGMにゆるい線で描かれた間抜けな地球外生命体とか、「ねむーい」「つまんなーい」などの文字であっても、落書きであればなんだか愛おしく見えてくる。
すぐに消されてしまったり、簡単に丸めてポイと投げられてしまったりするところが、かっこよく言えば、儚い。落書きは「瞬間」という言葉と強く結びついている気がする。
他人の落書きがどうしようもなく魅力的な理由、少しずつ解けてきた気がします。
そういえば、この展覧会で自分の中の扉を一つ開いてくれた、そんな言葉に出逢った。「あつかったらぬげばいい」という絵本のラフにあった言葉。
「ひどいことを思ったら/人の不幸を願っちゃったら 誰にも言わずにおけばいい」
絵本版では少し変更されていて、「人の不幸を願っちゃったら 波打ち際に書けばいい」になっていた。
どちらも心に留めておきたい言葉だと思ったけれど、特にラフ版の言葉に衝撃を受けた。私は自分や他人に対してイライラしてしまうし、嫉妬もする。黒い感情がこんなにも湧き上がってきてしまうことに対して、罪悪感みたいなものがあった。言い方を変えれば自己嫌悪だと思う。
世の中にはごく少人数だろうけれど、負の感情がほとんど持つことがない人もいるのだと思う。
そういう人たちが羨ましい。だけどこの羨ましいなんて感情も、その人たちは持たないんだろうなと気づいてしまうと、絶望的な差を感じて深く深く自己嫌悪に沈んでいく。
けれど、ひどいことを考えつかない性格の人と、ひどいことを考えても口に出さない人、側から見ればどちらも決してひどいことを言わない優しい人であろう。前者か後者か、知っているのは自分だけ。
ならばどっちだっていいではないか。
それに「この考えはひどいから、誰にも言わないでおこう」と判断できる人は、十分優しい人だと思う。
悲しませたくない人を悲しませない自分であるならば、完全無欠の優しい人になる必要なんてなかったのだと、気づきました。
最後に、この展覧会はこれから沖縄と岡山に行くそうです。沖縄に行く人、海では絶対に日焼け止めを塗ってください。私は七里ヶ浜でちょっと貝殻を拾っていただけなのにだいぶ焦げました。
これだから夏は嫌いです。