人生のターニングポイント
人生には何度もターニングポイントがやってくるが、分かれ道を選ばず、自分で選んだ道じゃないと言い訳しても否応なく道は進んでいく。そんな道に限ってろくなことが起こらない。
僕の場合もその道には長く暗いトンネルが待っていた。
大阪大学に入った頃「フェミ男」とか何とかいうファッションブームがあって、自分で服をデザインしたわけでもないことに気づいていない人達がファッションに五月蝿くてメンタルが病み、体は健康だが、心が健康じゃなくなった。
今では逆に「僕は自分でデザインしてドコモのコンテスト『MEDIAS Wアプリ開発コンテスト』でグランプリをとった」とか「Microsoftのコンテスト『Windows Vistaソフトウェアコンテスト』でも大賞をとった」と言い返せるようになったが、五月蝿い人達がいなくなったわけではない。
体型さえ普通なら安物のファストファッションを着てもダサくないことぐらいわからないのか···。
大阪大学で道を外れた大学の最初のターニングポイントで、大阪大学には通いたくない、でも大学に行かなければ···、と考えて仕方なく仮面浪人して東京大学受験という道を選んだ。だが、残念ながら不合格だった。全国模試で偏差値80以上をとったり東大A判定をとったりしたこともあったのに···。
それ以降東京大学も諦め、大阪大学にもほとんど行かなくなり、プログラミングはしていたもののズルズル時間だけが過ぎていった。これもターニングポイントだったが、また間違いの道を進んでいた。ただ不幸中の幸いで、このころしていたプログラミングのおかげで、ファミコンぐらいのゲームは作れる技術は身につけるまでにはなっていた。
これは僕が選んだ道じゃない、と自暴自棄になっていたが、「それでは駄目だ、何か行動しなければ」と、大学3回生のターニングポイントで、「アクションRPGツクール(マップエディター)」を作ったり、大学5回生のターニングポイントでは「OUCC(大阪大学コンピュータークラブ)」に入ったり、作品を作って公開したりした。
ちなみにこのときOUCCには3DCGツール界隈で有名な「Metasequoia(メタセコイア)」という3Dポリゴンモデラー(3Dオブジェクトを作成したり編集したりするツール)の作者が後輩にいて、当時のMetasequoiaはまだベータ版の段階だったが、そのソフトウェアと作者には今までで一番刺激を受けた。未だに3Dプログラミングでは足元にも及ばない。
3DプログラミングだけではMetasequoiaにはとても敵わないから、そのこともゲームを作ったり、著書を書いたり、Webコンテンツを作ったりして勝負するきっかけにもなった。
そういう意味でOUCCに入ったターニングポイントは悪くはなかった。ずっと低次元なプログラミングをしていただけより。
ただなかなか作品は見てもらえないこともあり、またまた考えて探して見つけたのが、コンテストに出品すれば確実に批評してくれるだろうと思いついた。
厳密には数えてはいないが、同じ作品を複数出品したのも合わせると、のべ200回以上はコンテストに出品したと思う。20回以上入賞したが、2024年現在、大きなコンテストには10回も入賞していない。パソコン誌TECH Win系統の小さなコンテストが多かった。
コンテストという、作品を作って応募する目標ができたのは、なかなかいいターニングポイントだった。評価されずに自画自賛しているだけでは成長もしていなかったかもしれない。
それだけではなく、そのころのターニングポイントで、パソコンで稼ぐ道を進むことに何となく向かっていた。
どうやってパソコンで稼ごうかと考えていて、ちょうど先述のコンテストの賞金で稼ぐという方法があった。だが確実に入賞するわけじゃないので、確実に印税が貰える本を書くことを思いついた。
プログラミング入門書は2004年に技術書作家デビューして以来2024年現在、年間平均1.6冊ぐらい書いている。
最初にIT系出版社「工学社」から出版したのはいい判断だったかもしれない。僕のような下手くそな原稿でも出版してくれたのだから。当時の僕ほど下手くそな文章の入門書を書いている人を見たことがない。「工学社」だったから今では以前よりはまともに原稿が書けるように成長できたと思う。
このターニングポイントがなければ、作家にはなれてなかったかもしれない。1冊目は書き始めることがなかなかできず本当に苦しんだが、頑張って完成させたのはいい判断だったと思う。
ただ、技術書を書くだけで食べていける人はほとんどいない。何しろ日本の小説家でさえ著書だけで食べていける小説家は300人もいないと聞いたこともあるぐらいだから。
本が売れない時代と分野は変わるが、音楽CDも売れない時代だ。世の中どうなるかわかったものじゃない。
本当にターニングポイントで作家人生を選んでよかったのかは、あまりはっきりとは言えないかもしれない。
ところが最近では本の企画がなかなか通らず、2023年から大手オウンドメディア「Think IT」でWebライターデビューした。これはなかなか自分にあった仕事ではないかと、2024年に「CodeZine」でもWebライターを始めた。まあ大手オウンドメディアでなければ自作WebサイトでWeb記事を書いていたことは書いていたわけだが。