20240819 昼寝と労働観
あまりにも憂鬱で15分仮眠しようとしたら、それが2時間の昼寝に化けた。
起きたら全部なくなっていた。文脈の全部が消えて、僕もなかった。しばらく呆けていたけど、何かの拍子にスイッチが入ったみたいに起きた。珍しくまともなものが食べたくなった。もう低血糖で何もできない気がしたのでスーパーマーケットに行ってタコライスの弁当を買った。知らない味のアイスがあったのでそれも買った。
タコライスがあまりにも美味しい。数日くらいこれだけ食べて生きていきたい。スーパーでいくら使ったのか覚えてないな。あまり買ってないはずだけど。友人にこういう事を言うと怖がられる。恐怖というか、理解不能ということだと思う。
夕食後に意識のないままXを見ていて、知り合いが話題の記事に言及しているのを見た。
これね。界隈でやいのやいの言ってるやつ。
最近ずっと同じことを考えていた。
経営者一択か、そうだね。僕は考え方を強制されているとか言っていた。確かに経営者目線とか言っているイメージはある。あれって経営者的であるってことだったのか。
社会の小さくない部分が経営者的な人間を求めるようになっていて、皆それに強制された事ばっかり言っている。強制というか、改造かもしれない。みんな自分が社会的な文脈を内面化して考えていることに気づいていないから。
なんか陰謀論みたいになってしまった。「世界の真実!」みたいな。
プログラミングのサークルにいたとき、就活を始めた先輩の話を聞くのがずっと居心地悪かった。言っていることが全部嘘みたいに感じられてしまうからだ。それは社会に適応するためにそう思うことにしているだけじゃないのか? パーソナリティの話にロールプレイが入るの嫌だなー。そう思っていた。本人にそんなつもりはないんだろうけどね。
僕はある種の単純作業が得意で、ある程度までなら脇目もふらずにできる。でもそういうのって昨今あんまり持て囃されない特性なんだよね。特にそういうこと、つまり経営者的になることがもてはやされる文脈で生きてきたと思う。そのせいもあってずっと自分のこの特性が後ろめたい。知的労働とあまり噛み合わないという実感もある。
社会に対する畏れと構造の話が混ざってきちゃった。おわり!
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