ペテン師
稀代のペテン師は21世紀を待たずして、それはそれは潔く鮮やかにブラウン管から姿を消した。
その立て板に水の口先三寸に、訳知り顔で頷く人を振り向きもせず。
背中で舌を出しながら。
20世紀と共に。
あの頃、少年は、どんな事柄もつらつらと流暢に語るそのペテン師にえもいわれぬ怖さを感じていた。
土曜日の深夜。ブラウン管には、いつものようにペテン師と、そのペテン師にいつも踊らされる落語家のやりとり。
なにか凄いものを見ている気がして、だけどもそれはただ面白くて、少年は顔をほころばせる。
折角、話が進んでいるのにその落語家はいつも横道に逸らし、ペテン師はそれに怒るでも話を戻すでもなく、にこにこにやにやと落語家を横道に進ませた。
まるで、その道の行く先を知っているかのように。
もどかしい時間。
だけども面白い時間。
少年は、どちらかといえば落語家の愚直で分かりやすい笑いが好きだった。
ペテン師の理路整然とした語りは、そのころの少年には理屈っぽくて、面白くなかった。
ペテン師は知っているのだ。
子供にペテンが通用しないことを。
子供らが大人になったら、きちんと世の中のペテンに踊らされることを。
ある時、
「一度決めたことをやめるのは軟弱な人間や。だからボクは煙草をやめへん」
そう言ったペテン師は
「煙草吸うぐらいなら、排気ガス吸うた方がいくらか良いっちゅうもんですよ」
またある時は、
「健康のためにジョギング? マラソン? 愚の骨頂やね」
眉をひそめたペテン師は、いつの間にやらジョギングやマラソンに精を出し、
「そら、ぽっくり死ぬためや」
仕舞いには、
「ゴルフなんぞというものは、暇で暇でどうしょうもない人間がやる球遊びや」
鼻で笑ったペテン師は
「ボクはねえ、プロゴルファーになろうと思うんですよ」
と少年の前から去っていった。
「ほら見ぃ。キミ、やっぱり騙されたがな」
大人になった少年に、ペテン師が笑う。
稀代のペテン師が表舞台を去った後、同じように去っていった人達が未練がましく舞台袖から顔を出した。
それでもペテン師は、最後のペテンだけは翻さずに舞台に近づくことさえしなかった。
「そらそうや。あいつらは芸は三流やけど、ギャラは一流。僕はその逆や」
ペテン師は笑う。
あれから二十数年が経ち、稀代のペテン師は、そのペテンを未だに観返して踊っている少年たちには何も告げることなく、静かに去った。
表舞台からも、人生からも。
それはそれは静かに、密やかに。
その立て板に水の口先三寸に、訳知り顔で頷けるようになった少年たちを振り向きもせず。
背中で舌を出して。
残したペテンと共に。
26歳の頃に何を考え、何を夢見て、何をしたいと思ったか。
金も力もそれほどない頃、夢見て、やりたいと思っていたこと。胸に秘めていたその思いがその後の人生で花開く。
30でも40でもなく、26歳。
ペテン師が、いつだか語っていた。
少年はその言葉に今も感化されている。
「小説を書いてみたい」
26歳の頃の少年は漠然と思いながらも、そんな時間も余裕もないよと、どこかにしまい込んだ。
「アホやなぁ、キミ。あれ信じたんかいな」
ペテン師が笑う。
「24でも25でも、今の時代なら、なんなら40ぐらいでもエエんちゃうかな」
今夜、少年は手を合わせペテン師を悼む。
合わせた手に隠して、舌を出しながら。
ほんの少しのアルコールと共に。