日曜日
ツイていない日というのは、何をやってもツイてない。
久しぶりに『ギックリ腰』というセルフ軟禁状態になるような病に襲われて、ようやく痛みを気にすることなく動けるようになったのに、作りかけの小説の続きに取り掛かろうとパソコンを開けば画面が暗いまま立ち上がらない。
気を取り直して大好きな稲妻系のチョコレートを齧ると、爽快な歯ごたえと共に奥歯の詰め物がとれた。
ドライヤーが火を噴き、お気に入りのジーンズのお尻の辺りに破れを見つけながら、外出の支度をする。
家の前で犬に吠えられ、近所のコンビニでは目の前に並ぶ人がからあげクンの限定味の残り2個を買い占めていった。
やはり、ツイていない日というのは、何をやってもツイてない。
ツキの神様が面白がって細かな嫌がらせを仕掛けてくるのだ。
おそらく、神様も嫌なことがあったのだろう。八つ当たりも甚だしい。
久しぶりの地下鉄の駅はやたらと人が多くて、人混みが苦手な僕は、たった一駅の区間を利用することに躊躇してしまう。
腰痛からのリハビリがてらに歩いてみようかと、スマートフォンを取り出しながら構内を見回す。
自動改札機に二度引っかかる老婦人。
その横を、大きくて派手なキャリーケースをガラガラと鳴らしながら闊歩する若い男性。
彼とぶつかりそうになっても気付いていない様子で、スマートフォンを覗き込みながらにやにやと歩くリクルートスーツの女性。
何かの物語の主人公にでもなったかのように、僕は周囲に視線をめぐらせた。
それはまるで、敏腕刑事のように。
市井の人達を満足げに眺める権力者のように。
人間に化けた魔物を探索する能力者のように。
待ち合わせの愛しい人の姿を探す恋――
「邪魔っ!」
ドカッと背中を押すように、年配のおじさんがぶつかってきて思わずよろけてしまう。
「すいません……」言う間もなく、おじさんはいそいそと改札に走っていく。「ボケーっと突っ立ってんなよ、ゴミかお前!」と、見事な捨て台詞を添えて。
なんだよチクショウ。確かに、結構通路の真ん中にボケーっと突っ立ってはいたけど。
胸の内で悪態をついて、壁際に移動する。壁には駅の出口案内と周辺地図が掲示されていて、そういえば、と僕は懐かしく思う。
10数年前、この駅で女の子に道を尋ねられたことがあった。
「あのぅ……この美容室、行きたいんです」
まだ引っ越したばかりで周辺地理に不案内な僕は、彼女が手にする雑誌の切り抜きを大袈裟なぐらい顔に近づけて、壁の地図と何度も見比べては迅速に応えてやれないことに焦っていた。
「髪……切りに行くんですか? もしかして予約とか?」
「……面接、なんです」
ええ! 面接って。働くんでしょ? 事前に場所とか確認しないの? 今ってそんなポップでライトなカンジ?
胸に渦巻く思いは口にせず、その時期には珍しいぐらいに額から汗を流しながら、目指す美容室の場所を特定する。
3番出口を真っ直ぐに、大通りを進んで右側。
出口の階段を上りきったところで、「ありがとうございます、助かりました!」と彼女は元気よく大通りを駆けていった。
雑誌の切り抜きを僕の手に残したまま。
外に出ると良い天気で、強めに吹く向かい風が心地良い。
腰の痛みは感じないけれど、少しおっかなびっくりに僕は歩いた。
あの切り抜き、どうしたかな。
美容室、まだあるかな。彼女はまだ働いてるのかな。
それより彼女、受かったのかな。
ツイていない日というのは、何をやってもツイてないものだと思う。
だから、明日は良い一日でありますように。
あのおじさんが500円落としますように。
あの彼女が300円拾いますように。
差額200円分の良い事が僕にありますように。
3番出口を真っ直ぐに、大通りを進んで右側。
ゆっくりと歩く。
向かい風の中を、少しおっかなびっくりに。