今日の視角(220803)
おはようございます、R.TAKEDAです。昨晩はBS放送で長岡花火の生中継があったはずなのですが、見ようと思って忘れてました~
【運動】8月2日:ラン6km、スクワット100回、72.4㎏(-1.5kg)、10866歩
信濃毎日新聞の夕刊1面に「今日の視覚」というコラムがあります。昨日のテーマは「組織マネジメント原理主義の光と影/内田樹」というお題でした。視角:ものを見たり考えたりする方向、観点。視点。
月曜日:小倉和夫、火曜日:内田樹、水曜日:落合恵子、木曜日:小林昭幸、金曜日:姜尚中、土曜日:鷲谷いづみ、というラインナップです。記事がクリップ(保存)可能で、本紙向けのコラムということでしょうか。
さて直接のコラム引用は避けまして、似たような記事を引用します。
ドキュメンタリー映画「教育と愛国」を観て、組織マネジメントについて語られています。
私の感想ですが、マネジメントはシステムであって平和と安定を手に入れた世界が大前提ですね。社会も会社も家族も、その組織の長はそうやって継続したいんですよね、それはわかります。しかし、自分の今ある環境はまず先人の努力のおかげであり、その先人(最初)の積み上げたものに小手先のマネジメントをくっつけても、リーダーシップが劣化コピーでは、マネジメントは形骸化するしそもそも社会の変化やイノベーションとかにはついていかないんですね。
破壊して新しいものを作るときって、上意下達の完璧なシステムってむしろ弊害になる、と。その最たるものが教育で出ているということか。と勝手に解釈しました。会社も学校も「教育」偏重主義ですが、人が育つってどういうことかを本気になって考えてみれば、もしくは自分がどうやって成長してきたか、を考えてみれば「教育」が出来ることの限界ってみえるのではないでしょうか。
原理主義って良い意味では用いられませんよね。タイトルを見て想像出来ましたが、日本だけではないと思います。7つの習慣でも、リーダーシップはマネジメントに先立つとあります、多くの人が勘違いしてマネジメント偏重に持って行こうとする。
目的と手段が入れ替わるというやつですね。何のためにやるのか?ってところと徹底的に向き合わないといけません。
【けさの一句】教育に自分のことは棚にあげ