古代日本人がやってきた多次元的思考がヤバすぎた【TOLANDVlog】

藤井風のまつりも、いろんなまつりをひそかに掛けている、
というようなことを示唆しているのではと解説したことがあるが、
それが多次元的思考、どうとでもとれる形で理解しあえていた、
ということになるとは新発見。それが右脳思考。

和歌の掛詞とかが、実はこの縄文的多次元思考を、
たしなみとして、あるいはわかる人にはわかるという遊び、
または暗号として使われていたのではとは面白い読み解き方。
だから今また、百人一首とか和歌が脚光を浴びるのもわかる。

同じ音、韻のもつ意味、おやじギャグの意味、ますます大事になる。
出口光さんはおやじギャグではない、エスプリだとおっしゃっていた。
先に音があり、後から漢字がくっついてきた。
これが右脳から左脳に、思考が移動したタイミングもわかりそう。
言語優位、ということ。
祭りと言ったらフェスティバルであって、政りごとではない。
祭りとかいたらもうあいまいさがなくなる。これが言語の分断力。
1つ決まったら、もうほかのものではありえない。
意思疎通は正確にできるが、あいまいさのない、
想像力のない、状況が生じる。

やはりサムも右脳だと、左脳じゃないと言っていてうれしい。
2025年はやはり右脳だということでOKだと言ってもらえた気がする。

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