カバラの生命の樹 心願成就と”生贄”の関係とは!?

ちょっと変わった視点からのカバラ生命の木のお話。

人間とは何か、という哲学的な問いの根本が、
カバラ生命の木をちゃんとつかめが、きれいな
整合性の取れた世界だとわかる。
すべてが生命の木法則の下に世界が動いているのがわかる。
この先を歩む道しるべとなるもの。

お釈迦様が偶像崇拝を禁止した時、初期の原始仏教は、
お釈迦様を樹木で表した。
お釈迦様が亡くなったのは沙羅双樹は生命の木と死の木。

手放しなさい、さらば得られんの法則は、
別な言い方をすれば生贄の法則。
何かを差し出せば、その代わり結果別のものを得られる。
願い事に対するお賽銭など。
願い事と正当なる犠牲を差し出すということは同じ。
エゴでは成り立たない。

善行を積むことは知られないようにする。
見られているところでやっても、それは交換成立、
解消されている。
見られないところでやってこそ。

カバラ生命の木の新しい視点を教えていただきました。
生贄は確かに命を差し出すという意味で残酷ですが、
現在ではそれをお金などで差し出すことができる。
見えないところでの善行という徳分の積み方、
とても納得しました。

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