【統合ワーク大阪で開催!詳しくは概要欄へ】社会・教育・宗教など生まれた時から概念と言うトラップにはまり続けてきたことに気付き目

死というものをデリケートにしてしまい、タブーにしてしまうことで、
その本質が隠されたことこそ洗脳であると思う。サアラさんが核心を、
きちんと話してくださっている。最近こうした死への恐怖を払しょくするための、自分の囚われの概念を壊すようなメッセージが続く。


戦争をやりたい人と、戦争反対って拳を振り上げている人たちってのは、同じレベルの対立構造を作っているだけ。もし反対する人たちがいなかったら、戦争をやりたい人たちはとっくにやる気がなくなっていたかもしれない。

一方はお金儲けのためにやっている。人を殺したいわけじゃないわけですよね。
反対する人たちだってお金を取られたくない、命も取られたくないし、お金も取られたくない、損したくない人たち、ある意味。

でもお金だろうが命だろうが、別に持っていかれるもんならどうぞ持ってってくださいよと。私は何があっても、命がなくなることはありません、体はなくなるが、っていうことがわかっているような真ん中(中今)にいる人は、相手にならないんですよ、この人たちにとっては。
別にお金いりませんってなると、ゲームにならない。

実は戦争をやりたい人たちはお金が欲しいわけじゃない、もう充分もっている。
そう考えてみると、やっぱり反対してくれる人がいるっていうのは、それがエネルギーになっている。

戦争を仕掛けている人たちって何が欲しいかって、人を殺したいわけではないが、たくさんの人が死んでいって、悲しみとか恐怖とかそういうエネルギーが一気に吹き出る。これを欲しいわけ。それが栄養になるというか、エネルギーになる。

戦争に反対する人たちは殺されることで痛い思いをするのも嫌だし、死んでいくのも嫌だし、大切な家族を失うのも嫌だしっていう人たちじゃないですか。でも、もしこの人たちがここ(中今)につながることができていたら、同じステージにはいられないですよ。ここ(中今)につながると。つまり死んでいくことは、帰っていくことだとわかってしまうなら、もしも自分の内なる神が、死んでいくことを望むのであれば、それは戦争が起きて死んでもいいよっていうぐらいの思いになるので、そうすると、その振動っていうのは(戦争を仕掛ける人たちとは)共振しあわないのよ。チャンネルが違うの。だから戦争が起こせなくなる、相手にならなくなる。

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