ブラジル日記第二弾 2008年~
ima mada Brasil desu
osoraku buji de kaerimasu.
iya shikashi, kono 5kagetsu kann ni sinjirarenaiyouna dorama ga kazukazu okorimasita.
kitto tomodati ni hanashitemo, sinjitekurenaidarounaa toiu youna koto ga okotteimasu. genzai shikoukkei.
ima jibun ga sundeiru tokoro mo naka naka sugoi tokorode.
TIGAU SEKAI desu.
yakusoku simasu. BUJINI kaerimasu.
burajiru de okotta kotoha mata notihodo.
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ただいま帰りました。
生と死。
喜怒哀楽。
人間の美しい部分、醜い部分を見せ付けられたなんとも実りの多いたびでした。
こんなに濃い6ヶ月は今までの24年間であっただろうか。
これまでに起こったことは思い出しつつ日記に書いてみようと思います。
ざっくり言うと、マラニャオン州の田舎に行き、カンドンブレに参加しました。念願のTambor de Crioulaという太鼓とダンスの師に弟子入りし、州都サンルイースで3か月かけて習得。日本人で唯一の奏者になって帰ってきました。
パラー州の田舎でカポエイラのイベントに参加し、カミーザ大師匠が宿泊していたツインの部屋に泊めていただき、そこで今後のカポエイラの続け方について相談させてもらいました。
そのままパラー州の田舎でマイクロバスを借り上げてカポエラ巡業をしました。
リオのファベーラに住んでいる友達の家に居候させてもらいながら、師を探してカポエイラ修行しました。家にはドアがありませんでした。
天理教を信仰しているゲイのおじさんに、その家の中で純白を奪われかけました。
弟子入りが叶い、師匠の家(北エリア郊外のファベーラ)に住みました。
最初に住んだファベーラは何も楽しくなく、すべてが殺伐とし、3週間目には目の前でギャングが住民を殺すのを目の当たりにして病みました。
縁あって、南エリアのファベーラに住まわせてもらいました。人殺しや銃撃戦はやっぱりあったけど、優しくてたくましい人達に交じって、素敵な日々を過ごさせてもらいました。
西部のジャカレパグアに足しげく通う事になり、リオ三大ギャングとは別の第四勢力「ミリシア」なるものの存在を知りました。幼稚園の子供たち(ミリシアの子供もちらほら)にカポエイラを教える友達の補助を1日中して学ばせてもらいました。
マラニャオンでの3か月間では夢にまで見ていた太鼓を習得し、リオでの3カ月では昔から憧れていたものの、遊び半分で行っちゃいけないと思っていたファベーラに、それも3か所も必要に迫られて住むことになった。
マラニャオンとリオでいっぱいの半年でした。
まずは職を見つけなければ。
ブラジル関連の職があったら情報をpor favor。
日本寒すぎる。
3日前までは夜明けまでmorroのbaileだったのに、今は日本で凍えている。
変な感じ。
適応。適応。
Eu sou camaleao.
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2008年5月から11月まで太鼓の師と、カポエラの師を求めてブラジルを一人旅したときの出来事をまた思い出して書こうと思います。
前に1年間すんでたときよりも濃ゆ~い半年だったから一人でしまっておくのがもったいなくて。
暇な人は見てください。毎日まめに日記にしてたら出版してたのにな。
忘れないように思い出してはメモってwordでまとめてアップします。
一番衝撃的なことが起きたRioでの3か月分の写真とデータは見事に紛失したので、その期間の写真が紹介できないのがものすごく残念だけど。
しばしお待ちを。
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っていう日記を書いてからはや数十ヶ月。
未だに書いてません。
でも本当にそろそろ書くから。日付とかは忘れたけど、数々のハプニングを思い出して書きます。
気が向いたら読んでください。