Rio das Pedras(ヒオ・ダス・ペドラス)

今日は西エリアのRio das Pedras(ヒオ・ダス・ペドラス)に行って、Mestrando Diguinho(メストランド・ヂギーニョ)のクラスを受けてきた。

「西エリア」といっても、個人的には3つくらいに分かれると思う。

①JACAREPAGUÁ(ジャカレパグアー)。ざっくり言うとシティ・オブ・ゴッドがある地区。

②CAMPO GRANDE(カンポ・グランヂ)。意味は「大きな野原」。
名前の通りただただデカい。デカすぎてもはや市レベル。でもこれも西地区の一部。オレンジの名産地だったので、街にはちらほらオレンジのモニュメントが。

③SANTA CRUZ(サンタ・クルース)意味は「聖なる十字架」。
ここはもう未知。数回だけ行ったけど。SANTA CRUZ市で良いんじゃないかと思う 笑
その先はもうITAGUAÍ(イタグアイー)市になる。

今日の昼はサン・コンハードビーチで友達と会い、夜までそいつが住んでいるオリンピック村周辺のアパートで休んでから出発。

バスを乗り継いで約1時間。
久々に来たよ、ヒオ・ダス・ペドラス。

ここは西エリアでは有名なファヴェーラ。
Jacarepaguá(ジャカレパグアー)地区とItanhangá(イタニャンガー)地区にまたがる規模だ。

2008年の1ヶ月と2011年の6ヶ月、Favela da Rocinha(ホシーニャ貧民窟)のRoupa Suja(ホウパ・スージャ)地区で暮らしていた頃の話。
ホシーニャ出身の親友がここで一日中カポエイラのクラスをしていた。
まだオレンジ青帯だった自分は毎日毎日、朝から夕方までくっついて回って、幼稚園児のクラスについて学んだ。
それがヒオ・ダス・ペドラス。

ここはリオの一般的な3大ギャングが支配するファヴェーラとは違い、ミリシアと呼ばれる謂わばマフィアが支配している。
基本的に元&現役の警察の人間が組織しており、1960年代にこのファヴェーラで始まった。麻薬組織を追い出し住民に縁前をもたらすのが名目だったが、実際は諸場代の要求や、商品の値上げとそのピンハネなどで、住民は圧迫を受ける場合があり、時に「ギャングよりもたちが悪い」などと言われることもある。ジャカレパグアとカンポグランヂに勢力が広がっている。

親友にくっついてカポエイラクラスを手伝っていた頃も、お迎えの時間になると時折お母さんではなくお父さん達が現れて、腰にはピストルが見えた。

小声で「ショッキ、いまのがミリシアだよ。」
懐かしき記憶。

さて、ここヒオ・ダス・ペドラスはファヴェーラの中でも特に北東部出身の人達が多く住んでいて、現地の食材を扱っている店や、現地の郷土料理が食べられる店もいくつかある。友とよく行った店では北東部名物のバイァオンが出されていて、すごく美味しかった。
Mestrando Diguinhoもセアラー州の家系。まぁ実際の地元はホシーニャだけど、ここヒオ・ダス・ペドラスで生徒をたくさん抱えている。
生徒にもセアラー出身の人がちらほら。
そして彼らは大会で上位の常連。

ヂギーニョのクラスは地元の若い子たちがたくさんいて、彼の到着までクラスを担当したのはこれまたセアラー女子のAbelha(アベーリャ=ミツバチ)。

場所はCIEP(シエッピ)といって、リオ中どこに行っても目にする同じフォーマットの建物。公立小学校みたいなもので、ブリゾーラ大統領任期時に作らせたことから別名Brisolão(ブリゾラォン)という。

Humaitá(ウマイタ)地区のアバダ・カポエイラ本部も、Tijuca地区のMestre Canguru(メストレ・カングルー=カンガルー)の道場も、RocinhaのMestrando Taturana(メストランド・タトゥラーナ=毛虫)の道場もこれと同じ。

足の裏は決まって真っ黒になるが、「ああ、本場で稽古している」という気持ちにさせられる 笑

時折、俺のジョーゴを見ては真っ直ぐなアドバイスをくれるProfessora Joaninha(プロフェソーラ・ジョアニーニャ=てんとう虫)が、今日もいくつかアドバイスをくれた。彼女からのアドバイスは素直に嬉しいんだよ。

外にもヂギーニョが生徒達にしているアドバイスは、初めて聞くような表現で、本当に今日は学んだ感じがした。

ブラジルでは今回のような大きな大会があると、たくさんの外国人がリオに集まり、そしてすぐに帰っていく。しかし大会がないこういった期間こそがブラジルのカポエイリスタの日常だ。
ある種「素」の状態で稽古に打ち込む姿、そこに外国人がカポエイラを理解する鍵があると思う。世界大会は謂わば非日常。もしくは晴れ舞台。
そうじゃない期間の方が色々なものを見せてくれるし、こちらも学んだものが腑に落ちる。

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