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貧血銀河 【2000字のドラマ】

車内には、東京での暮らしを歌った流行歌が流れていた。私は確かにその曲が好きだったはずだが、フロントガラスに映る暗くだだっ広いコンビニの駐車場とはあまりにかけ離れた歌詞で変に白けてしまい、堪らず曲をスキップする。

仕事帰りに急に食べたくなって買ったエクレアが、助手席に投げ出されている。地方都市の外れに住む、下戸で無趣味な私にとって、細やかな楽しみといえばコンビニスイーツを買い食いすることくらいだった。

高校時代も買い食いが好きで、放課後に友人とお菓子を買って公園で食べながら駄弁っていたことを、ふと思い出す。あの頃、私は無邪気だった。人間関係の柵や将来への不安は絶えずあったが、それでも、夕陽に晒されながら取り留めもない話で笑えていたあの時間は、青春と呼べるものだった。

ほとんど無意識でインスタを開くと、その友人がストーリーを更新しているのを見つける。彼女は大阪の専門学校で美容師を目指しており、その仲間たちと飲み会をしている写真が何枚か映し出される。短い動画も更新されており、その喧騒の中では聞き慣れない関西弁が飛び交っていた。

車内と車外はその境界を失くして一個の暗闇になって私を包み、そのくせ狭い車の中にいるという閉塞感だけが私の感覚に奇妙に残った。靴を脱ぎ膝を抱えて、スマホに映し出される明るい世界をまんじりと眺めた。

自動的にストーリーが次に進んで、高校時代好きだった男子の投稿が表示される。あまりSNSをしない人だから投稿自体かなり珍しい。内容は、これもまた短い動画で、住宅街の夜道を友人数人と談笑しながら歩いているだけの何気ない動画だった。

動画の最後の方で聞こえた彼の笑い声は、聞き覚えのあるものだ。

高校時代、私が一方的に想いを寄せていただけで、他愛もない話をたまにする程度の仲のまま、ついに告白もできずに卒業し離れ離れになった。流石に今でも想っているわけではないが、不意に思い出す時がある。

彼は、小さい頃から宇宙が好きだとよく話していて、それを聞いた私は時々、会話のきっかけを作ろうと、ブラックホールの撮影に人類が初めて成功したニュースや、大企業が火星にロケットを飛ばすというどこかで知った話を彼にした。

私が宇宙について詳しくないことはバレていただろうが、優しい彼はそんな私を無下にせず、宇宙の神秘についてその都度丁寧に語ってくれた。

彼の宇宙の話で特に思い出深いのは『貧血銀河』という、周囲の銀河にガスを剥ぎ取られ、星をあまり生成できない気の毒な銀河の話だ。広大無辺の宇宙にぼんやりと病人のように浮かび、生まれた意味も見出せないまま死を待つ憐れな銀河の画像を彼は見せてくれた。その時横目で見た、十七歳の不安定な魂が滲む彼の目尻が忘れられない。

いつもの癖で、インスタを閉じるとすぐにツイッターを開く。

トレンド欄の一番上には『社会保険料の値上げ』とあり、そのすぐ下に『児童手当の見直し』とあった。様々な有識者が小難しい言葉を並べてリプ欄で侃々諤々の議論を巻き起こしていたが、要は高齢者の健康のために若者の生活は逼迫させられ、子育てのための支援も縮小されるということだった。

何かから振り切るように車を走らせた。助手席の床のパンプスがコトリと倒れる。会社ではパンプスを履かなければならないが、車の運転をする時は県の条例でパンプスが禁止されているから、出勤と退勤の度にわざわざ車内で靴を履き替えなければならない。そのため帰宅時にはいつも助手席にパンプスが転がっているのだ。


丘の上にある公園に着き、怒っているような泣いているような足取りで園内を突っ切り、一番奥の欄干に両肘を置いて街を見下ろす。闇夜にいっそう黒々と聳える県自慢の霊峰を背景にして、中途半端な背丈のビルや飲み屋が集中する中心部は寂しく輝いていた。

私は暴れ出したいくらい泣きそうで、嗚咽も涙も内臓深くに押し込めるつもりでエクレアを頬張った。夢も、夢を見る気力も無く、恋人もおらず、なんの張り合いもない生活の只中にいる私にとって、その甘さはほとんど毒に近かった。

望みなど大して無いくせに、『何かを望みたい』という願望がどうしても捨てられない。

SNSに映える都会の生活を下らないと思った。取り憑かれたように流行を追い虚勢を張る人々を卑しくすら思った。だから、自分一人しかいない部屋で息を殺すように『○○県 フルーツサンド』と地図検索してしまう自分が憎かった。

社会に腹が立った。右派も左派も、既得権益も市民団体も、老害もゆとりも、政府もマスコミも、全員くたばってしまえと思った。だから、諦めてばかりで他力本願な自分が不甲斐なかった。


街は地方都市らしく、色彩の僅かな仄白いネオンで暗闇にぼんやり灯っている。それは、剥ぎ取られ、欠乏し、無目的に存在する、一つの景色に過ぎなかった。


#2000字のドラマ #若者の日常 #短編

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