悲観帯

お茶を飲もうと冷蔵庫を開けると、目の前には、冷凍チャーハンが見える。
Tシャツの棚にパンツが入っているような些細なことだ。

冷蔵庫の扉に目をやると、
残り少ないというのにふたを下にしていないから、一向に出てきやしないマヨネーズが目に余る。

それに今日は雨だ。

休日だというのに。
別に晴れてたら外に出るわけでもないけれど、晴れるに越したことはない。

ただ。
今日はどうしても買い物に行きたい気分だ。
別に大した買い物じゃないし、明日でも良ければ、来週だって困らない。
生活が多少楽になるだけの買い物だ。
でもこの雨に打ち勝つ方法はこれしかないと思った。

うちの玄関には、ひさしがついていないから、扉を開けてから傘を差すその一瞬、雨に濡れる。
「せーの」と心で号令をかけながら、扉と傘を同時に開くのは、すごく恥ずかしい。

相変わらず駅までの急な上り坂は清々する。

電車はいつもちょっと早めにホームに着いていて、目の前で乗り過ごす。
次の電車に乗れば、車内広告のヒカキンが今日もスベっている。

最近、水が130円の自販機が多い。
無くさないようにと、完全には外れないキャップ。
あれはなんなのだろう。
130円に気を使われている感じがする。

同じように、人感センサーがついてるトイレとかも不思議だ。
「ご主人様おかえりなさいませ」と言わんばかりに、便座が開く。
おもてなしをされる感じがどうにも気に食わない。
別に来たくてトイレに来てはない。

いずれにせよ、そんなに気を使うなよ。
人間じゃあるまいし。

そんなことを考えていると、駅に到着している。
ホームに降りると、人が一気に階段に流れ込んでいく。
他人の速さで階段を降りるというのは、ストレスだ。
人間は、人間の多さにいつもストレスを抱えている。

パスモを出すついでに、財布を覗くと現金がないことに気づく。
調べると近くにはセブンイレブンしかない。
すなわちセブン銀行だ。
330円。
コーヒーの一杯でも飲めそうな手数料だ。

俺の心が貧乏なのか、本当に貧乏なのかは置いておこう。
ただ、滅多に使わないセブン銀行は、最終手段だ。

商業施設のエレベーターというのは、待った甲斐もなく満員で入れない。
人生は無駄に生きた方が楽しいとは思うけれど、そういうことではない。

作業のように買い物を済ますと、どうにも雨に打ち勝ったような気もしないまま帰路に着く。
楽をするための買い物というのは、悦びが少ない。
その楽に慣れ、また楽をするために買い物をする。
果てのない渇望だ。
乾いたら、次はもっと乾いている。

家の扉を開くと、向こうから風呂場の電気がぼんやりと溢れている。
消し忘れていたというのか。

「今日は早く寝よう。」
そう呟いた深夜2時10分。
15分前に呟きたかった。

YouTubeを開いて何をBGMにして寝つこうか漁っている時間が不毛でならない。
結局惰性で選ぶなら、スッと選んだらいい。
そうもいかないところがより一層不毛だ。

日々、悲観して生きているわけではない。
うやむやにして受け流しているはずの出来事たちだ。


ふと——

「一体これはなんなんだ?」

という疑いがはっきりと形取られて感じる時がある。
そんな日は決まって、帯のように個別の悲観が繋がって見える。
たまにそういう日は訪れる。
必ず訪れる。
どうにも避けられない悲観帯だ。

いいなと思ったら応援しよう!