おやじパンクス、恋をする。#165
だけどそういう状態も、二日三日、そして一週間あたり過ぎた頃には、随分と曖昧なものになっていった。
俺の中の「ブルーな気持ち」が、この69というホームで過ごす日々の積み重なりに、じわじわと飲まれていくような感覚。
小娘に「変」と言われても、ガキに「もっとはみだせ」と煽られても、なんだかんだこの店で過ごす日々は心地よかった。
熱い湯の中に冷たい水を注げば、一瞬は冷たくなったように思う。
けどすぐにその境い目は曖昧になっちまって、温度は混ざり合い、結局はひとつのぬるま湯に落ち着く。
何の話かって?
いや、人間の生活ってのもそういうもんじゃねえのかって話さ。
とにかく俺は少しずつ、ブルーな気持ちから解放されていった。いつもの客達――その中にはもちろんカズ涼介タカボンも含まれる。一同が介したことはなかったが、結局奴ら、祝賀会があろうがなかろうが69にはやって来るんだ――とバカな話して、ときどき真剣な話もして、でも結局は誰も彼もが飲んだくれて大宴会、毎日のようにひどい二日酔いと共に目が覚める。
やっぱりそういう生活は、俺を落ち着かせ、楽しくさせ、そしていろんなことを忘れさせてくれた。「人は 悲しいくらい 忘れていく 生き物」そう歌ったのは誰だっけ。
この小説について
千葉市でBARを経営する40代でモヒカン頭の「俺」と、20年来のつきあいであるおっさんパンクバンドのメンバーたちが織りなす、ゆるゆるパンクス小説です。目次はコチラ。