【掌編小説】空のことば
彼の村は深い谷の底にあったが、岩がむき出しになった山と山との間を見あげれば、いつだって空は見えた。空は固そうで、さわると冷たそうな灰色をしており、そして角ばっていた。夜になればその縁に、まるい小さな光がぽつぽつと灯るのが見え、その光は、ごうごうという何かが通り過ぎるような音に合わせ、微かに揺れ、瞬いた。
あの空のうえには神様がいるのだと、彼の父はよく話した。神様は、それはそれはうつくしく、頭がよくて、そして愛情ぶかい。こんな谷底のまずしい村にまで、やさしい愛をそそいでくれる。
「父さんは、神様と会ったことがあるの?」
彼が聞くと、父は首を振った。
「いいや、私たちが神様に会うことはない。神様たちは忙しいし、神様の世界とここでは、しくみが違うんだ。でも、会うことはなくとも、神様の愛は感じられる。お前だって、それはわかるだろう?」
彼は頷いた。父の言っていることが、彼にはよくわかった。彼のような子どもでも、神の愛を知らぬものはいない。
村の中央には柱が立っていた。それは巨大な柱だった。なにしろ、その先は空にまで達しているのだ。柱は空とおなじ灰色で、さわると固くて、冷たい。空を見上げ、その灰色に固さや冷たさを想像したのは、この柱があるからだった。柱ではなく、空だという者もいた。これは空の一部がここまで伸びたものなのだと。彼もその意見に賛成だった。
彼の村では、男たちは皆、部品をつくっていた。村唯一の工場で、朝から晩まで部品をつくり、それを柱のいちばん下にある扉の向こうに、置いておく。次の日の朝に扉をひらけば、置いておいた部品が、野菜や果物や、服や薬に変わっている。
柱の中を部品はのぼり、空の上にとどけられる。空の上は神様の世界だ。村から部品を受けとった神様は、村が必要とするあらゆるものをおろしてくれる。これが神様の愛だ。
姿を見ることはなくとも、神様の存在を疑うことはなかった。実際に自分たちは、神のお恵みで生きながらえている。それに、「神様の落としもの」もある。
柱を通じてのやりとりとは別に、空からはときどき、ものが落ちてきた。それは、ふしぎな感触の石だったり、おどろくほど鮮やかな絵だったり、村でつくっているのとは別の部品だったりした。
彼がそれを手に入れたのは、村の会合に参加した父が、皆が必要ないのなら息子に持って帰りたいと頼み、それが受け入れられたからだった。
「神様の落としもの」が見つかると、村の会合がひらかれる。そして、それが村の生活に役立つものかどうか話しあう。必要ないと判断されたものは、もし欲しい者がいれば、持ち帰ることができた。彼のそれも、そんな経緯で父が得てきたものだ。
それは四角くて、固くもなくやわらかくもない。大きさは彼の顔ほどで、表面の布をめくると、なかに紙が何枚も重なり、そこには不思議なかたちの、ちいさなちいさな絵が、びっしりと描きつらねてある。彼は、そんな絵をいままで見たことがなかった。赤ん坊が描いた絵のように単純で、それでいて、妙にきちんとしている。これはなんだろうと父に見せると、父は秘密を守れるかい? と聞き、彼が頷くと、言った。
「これはね、神様たちのことばなんだ」
彼は驚いて言った。
「ことば? だってこれは、絵だよ」
「そう、神様は絵ではなしができる」
これまでに感じたことのない興奮が、彼をゆさぶった。なんということだろう。神様は本当にすごい。絵ではなしができるなんて。
それから彼は、部品づくりの仕事を終えると、いつまでもいつまでもそれを見るようになった。そして、ここに描かれた絵をつかい、神様たちが会話する場面を想像した。
彼はたまらなくなって、ねどこを飛び出し外に出た。そして、空を見あげた。そこには角ばった空があり、ポツポツと、灯りが灯って見えた。
神様のことばをつかえるようになれば、じぶんも空へとのぼり、神様になれるだろうか。
絵で話をし、神様のともだちをつくり、一緒にあたりを散歩する。夜になれば、あの小さな灯りをゆらす、ごうごうと音を立てるものの正体も、わかるかもしれない。
見あげた空の、瞬く灯りのそばに、村を見おろす自分の姿を、彼は見た気がした。神様の世界にいった自分は、きっとそうするにちがいない。彼はきっと、そっとなにかを落とすだろう。そして、それをひろった誰かはきっと、こうして空を見あげるのだ。