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【富士山地区】100人いれば、100通りの森との関わり方が育まれるように

 海と山に囲まれ、古きよきものと新しいものが、バランスよく共存する場所、鎌倉。いつの時代も、様々な世代の人々を惹きつけてやまない。そこで日々を暮らす人と、観光する人が混在するにぎやかな通りを抜けて、少し静かになった場所に、今回の取材先ファブラボ鎌倉はある。

1888年に建てられた、通称「結の蔵」

 外から見ると、何の建物だろうと思うだろう。歴史を感じさせる建造物の中に、3Dプリンタなどの最新機器が所狭しと並び、新しいものづくりの化学変化が起きているとは、誰も想像できない。しかし、この地に、この建物に、デジタルファブリケーションの拠点―ファブラボ鎌倉があること自体が、そのものづくりの精神を表わしている。

個人では手に入れにくい機材がここには揃っている

 デジタルなものづくりと聞いて、ワクワクする人もいるだろうが、一方で、なんだか難しそうで距離感を感じてしまう人もいるだろう。しかし、ファブラボ鎌倉のミッションは、「ないなら作ればいい」というマインドを育み、“つくるひと”を増やすことだ。モノにあふれ、モノに困らない時代だからこそ、ものづくりの背景にある作り手の想いや技術やプロセスを深く理解し、想像する力が必要だと考える。

 作りながら学んでいくという精神は、自然の中で体を動かしながら学ぶという私たちの活動とリンクし、さらに、木という素材はファブラボ鎌倉にとっても所縁のあるものだったことから、ファブラボ鎌倉と、ろうきん森の学校富士山地区ホールアース自然学校は、2012年に、森と暮らしの新しい関係を作ることをテーマとした「FUJIMOCK FES(フジモックフェス)」(以下「フジモック」)というプロジェクトを始めた。

 今回はその立役者の一人である、ファブラボ鎌倉の代表渡辺ゆうかさんに、取り組みへの想いと、心情の変化、試行錯誤の中から生まれた可能性を伺った。

ファブラボ鎌倉代表 渡辺ゆうかさん


テクノロジーよりも先に目を向けるもの

 「森×テクノロジー」と聞けば、もしかすると「最新の技術を駆使して、森林を活用した新しいものづくりをする」といったことがゴールのように捉えられるかもしれない。でも、フジモックで大切にしたいのは、テクノロジーよりも先に人、つまり、“一人ひとりのよりよい暮らし”だ。森林が抱える大きな課題よりも、ずっとずっと手前にある、一人ひとりの暮らしに目を向け、その暮らしと森をつなぐ。100人いれば、100通りの森との関係性を紡いでいけるような、そんなプロジェクトにしたい。デジタルファブリケーションは、その方法のひとつでしかない。渡辺さんも、単にデジタルなものづくりだけを広めたいわけではないと言う。

 「私自身、ただ単に機材とかテクノロジーだとかじゃなくて、日本のものづくりというのを、もう少し深い部分で捉えなおすきっかけになるような活動になるといいなと思っています。『森を守ろう』というスローガンを掲げるのではなく、作っていくプロセスの中で学び、気が付けば自然と森を守ることに繋がっているような、そんなアプローチはないかと試行錯誤してきました。」


自分でやれることから始める

 森林に囲まれ、森林に支えられている私たち。ファブラボ鎌倉の建物も、まさに木をふんだんに使った建築で、渡辺さん自身もいつも木に囲まれている。

 「元々建築を学んでいたというのもあって、間伐材が活用されていなかったり、輸入材に頼っているという、林業を取り巻く課題は知ってはいたんですが、簡単に解決する問題ではないのでどう関わっていいかわからなかったんですよね。だけど、大きくじゃなくてやれる範囲から、ちょっとずつやるというのでもいいんだって思ったら、フジモックというところで何かできそうな気がして。」


その人なりの、森とのつながりを見い出す

 そうやって、活動が始まった当初は、富士山麓で間伐体験を行い、一定期間材を乾燥させ、その材をファブラボ鎌倉の機材なども活用しながら加工し、作品を作るというプログラムを実施した。ITに関わる人や、普段からモノを作っている人、ジャンルを問わず様々な人が集まり、100人規模のプログラムとなった。

 「実際森に入って木を切って、木が倒れる瞬間の、どすんっていう感じを味わって、香りを嗅いでっていう体験は、やるのとやらないのでは全然違いますね。参加者からは、実際に現場で働く木こりの方や森を守る人たち、木を届けてくれている人たちを知ることができて、すごくよかったという感想がとても多かったです。プログラムを受けた後、産地を気にするようになったり、国産材を使うようになったっていうのはアンケートでも非常に多かったですね。」

 そういった変化は参加者のみならず渡辺さん自身にもあり、普段働かれているこの建物への意識が変わったという。見上げると、いつもそこにある太い梁、それを支える柱。それらが単にいつどこで作られたか知っていることと、「あぁ、この材はこれだけ長い年月をかけて育った木で、それを倒すのに技術と苦労があって、その森をずっと守っている人がいて…」と想像できるのは、精神的に何かが違う。

 「木に携わるって、ある種サステナブルの原点に戻してくれると思いますね。ただ、それをいきなり伝えようとすると少し難しい部分もあると思うので、まずは体験をしてもらって、最後の振り返りの時間で参加者同士感想を共有していく中で、ふっと腹落ちするような感じがいいなと思っています。」

 フジモックに参加した後の変化は人それぞれだ。例えば、フジモックをきっかけに丸太でお皿を作り、商品化し、起業された方もいた。運営側も、プロの林業従事者も、木は乾燥すれば割れてしまうのが当たり前だと思っていた。むしろ、割れ目もデザインだと捉え作品を作っていた方もいる。でも、その方は「割れない方法があるのではないか」と疑問を持ち、試行錯誤の末、年月が経っても割れない丸太の輪切り加工に成功した。その方はその方なりの、森との関係性を構築された。ただ、起業というのは大きなエネルギーを必要とするし、誰もがそこまで大きく変化できるわけではない。私たちは、目に見えるわかりやすいことだけが成果とも考えていない。極端な話、もらった丸太の上に植木鉢を置いて家に飾っておくような、そんな些細な関わり方でもいいと思っている。ただそこに置いた丸太の背景に、木こりの話や、富士山の森の風景が思い出されるというだけでも、その人なりの森とのつながりになる。

このサーフボードもフジモックで制作された


プレーヤーを増やすフェーズから、サポーターを増やすフェーズへ

 間伐からモノを作るというプログラムを始めて数年、気づいたこともあった。

 「間伐からモノを作るっていうのは、みんながみんなやりたいかっていうと、そうじゃないんですよね。内容が盛りだくさんだと、やりきって、お腹一杯になっちゃう場合もあります。それもいいんですが、もう少し気軽に毎年参加して、緩やかにつながり続けられるような方向性に変えていっています。例えば、サッカーのプロになりたい人とサッカーのクラブで遊びたいっていう人は全然違うじゃないですか。サッカー界全体のことを考えると、プレーヤーだけでなく、応援してくれるサポーターの人がいないとそもそも成り立たないですよね。だから、林業業界のことを考えると今は、業界を応援してくれる人たちを増やすフェーズに入っているなと思っています。」


感性を磨き、感性で選ぶ大切さ

 参加のハードルを下げ、より多くの人に関わってもらいたいという思いと、パンデミックという社会情勢が相まって、近年はオンラインでのセッションを試みている。

 「オンラインはオンラインの価値があるんですけど、オンラインだと渡せる情報に限りがありますよね。情報ってもっと三次元で360度、しかも温度湿度、匂いがあるもの。その厚みが大事なんだなと思いました。その感覚を少し補完できないかと、丸太の輪切りを送るようにしたんです。完全ではないけど、訴えたいことの何か欠片は届けられたかなと思っています。そしてその翌年のセッションでは、オンラインでデザインができるスツール作りをセットにして、一つのプログラムが完成したっていう自信は獲得できました。実用的で生活空間の中で違和感なく使えるという意味では、当初の目的に近いものになっている感じはします。」

フジモックのオンラインで制作されたスツールのパーツ
簡単に組み立てることができる

 話を聞けば聞くほど、デジタルファブリケーションという言葉に内包される、論理的だったり効率的なニュアンスとは裏腹に、渡辺さんの話の中には、言葉では説明し難いエモーショナルな表現が何度も登場し、感性の重要性が伝わってきた。

 「私たちは、ある種“周波数”みたいな言い方をしているんですけど、『自分がこれが好きかどうか』とか、『自分はこの道に進んでいいか』とかっていうことの感度って、体験を通して身につくものだと思うんですね。『何かよくわかんないけど面白そうだと思った』という気持ちの中にもきっと、何かしらの理由があるはずですよね。そういうことが大事なことだと思うんです。」

 “なんか面白そう”と思って小さな1歩を踏み出す。その先で、作ることに関心が行くのか、木こりに関心が行くのか、自然体験に関心が行くのかわからないから、プログラムの中に何かしらハマるボタンをちりばめておく。ルートを決めすぎないことで、誰にも予測できない、森との関係性が生まれるかもしれない。


一人ひとりに問われる、暮らしの在り方

 テクノロジーと聞くだけで、何か新しいものが生まれそうな気がしてくる。しかし、それを使いこなす前に、ものづくりのリテラシーを醸成しなければならない。鎌倉には、昔からものづくりの職人が集まってきた。古いものが維持管理され、寂れない街の雰囲気を作り出しているのは、そういった、ものづくりに真剣に向き合ってきた人々なのだろう。ただの新しもの好きなのではない。いいものを作りたいという思いが、新しいテクノロジーを受容するのだ。渡辺さんの言葉の端々で、そういった日本のものづくりへの敬意が感じられた。

 「持続可能とかサステナビリティって言われている社会だけど、もう、実際に昔の人ってそういうものづくりをしていたんですよね。なのでやっぱり昔の人に習うことの方が実は多くて。進化しているのか退化しているのかわからないじゃないですか。ただ、昔の生活に全部戻せるかっていうと戻せない部分があるので、例えばテクノロジーによって、どこでも働けるようになり、好きな場所に移住することが実現したように、いいテクノロジーの部分と、テクノロジーだけじゃ担保できない部分を、どうやって補完していくかっていうところを、自分なりにバランスをとっていければいいのかなって思いますね。」

 “進化しているのか退化しているのかわからない”。最新のテクノロジーに囲まれている渡辺さんが言うと、重みがある。人は、何かを作らずには生きていけない。身の回りにあるものは全て、誰かが考えて作ったものだ。私たちは、その中から何を選べばいいだろう。今、一人ひとりに問われている。


【投稿者】ろうきん森の学校全国事務局(NPO法人ホールアース研究所)小野亜季子​

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