【新潟地区】「帰る」ことのできる場所づくり~前編~
あなたの“帰りたい場所”はどこですか?
そう聞かれたら、どんな風景が、どんな人々の顔が、思い浮かぶだろう。
きっと、幼いころから慣れ親しんだ場所や、自分のことを大切にしてくれた人のことが思い浮かぶのではないだろうか。
魅力的な場所は世界中にいくらだってある。だけど、“帰りたい場所”となると、きっとそこには、受け入れてくれる人たちの存在があるのではないか。そうやって、そこで生まれ育った人に限らず、外からやってくる人をも温かく迎え入れてくれる、そんな場所がある。それが、新潟県の桑取谷(くわどりだに)を中心とした小さな集落だ。
新潟県南西部に位置する上越市。市域の中央に流れる関川沿いに開けた平野部を、山間部と海岸部が囲み、豊かな自然に恵まれている。
上越妙高駅に降り立つと、米の名産地とだけあって、青々とした平野が広がっていた。駅から車を走らせること約40分。山あいの小さな集落にたどり着いた。ここが桑取谷―今回お話を伺う、NPO法人かみえちご山里ファン倶楽部(以下「かみえちご」)の拠点だ。
かみえちごが発足したのは2001年。地域の資源を「守る・深める・創造する」を念頭に、地域活動の支援や伝統文化と技術の掘り起こし、子ども達への教育、福祉、地域資源を生かした産業づくりといった幅広い分野で地域おこしに取り組んでいる。
事務所の中に入ると、理事長の石川正一さん、理事兼スタッフの渡邉恵美さん、松川奈々子さんが出迎えてくれた。
「ここは昔から谷の中心地だったので、色んな人がよく通る場所。それに見られてもいます。皆さん、ここが開いていれば寄っていって、冬だと暖をとったりしてるんです。」
“かみえちごってどんな場所なのだろう”
初めてこの地に来た私は、そんなことを考えながらその言葉を聞いていた。今思い返せば、それは、かみえちごらしさをよく表した言葉だったかもしれない。
雑談をしていくうちに、ふと、理事長の石川さんの口から感慨深そうに「本当に、よくぞここまで、と思いますね」という言葉が漏れた。
発足から20年。紆余曲折と一言では言い表せないほど、たくさんの物語があった。渡邉さんと松川さんは発足時からのスタッフで、この団体の歩みをよく知っている。20年前と言えば、ちょうどインターネットや電子メールが普及し始めた頃。就職氷河期でもあり、スタッフの募集をかけると全国から応募があった。その当時は今の事務所ではなく、掘っ立て小屋のような小さな事務所だったという。
「面接に来たのが2月で、(事務所が)雪に埋もれていて、『掘らなきゃ中に入れない』と言われて、掘っていたら夕方になって。その日はもう帰ろうとなっちゃって、『どうしよう、大丈夫かな?』って思った」
笑いながらそんな風に話してくれたのは松川さん。東京都出身の松川さんは、この地に縁もゆかりもなかったが、自然が好きで、特に、里山という場所に住んで地域の人と関わりながら活動したいという思いがあり、この地にやってきた。東京と気候も風土も異なる場所で、20年活動を続けてこられたのはどうしてだったのだろう。
「やっぱり“人”ですかね。最初は言葉もよくわからなかったんですけど、地元の方々が受け入れてくださったんですよね。」
また、この地域が地元だという渡邉さんは、この地域の人たちが自分たちを見守ってくれている感覚があるという。
「“受け入れられている”という感じと“許してくれている”という感覚があるんです。『こうしなさい、ああしなさい』というのはなくて、基本的に『やってみたら?』というスタンス。自分たちの子どもを見守るような感じですね。」
すると、石川さんがこの地域の人の人間性の所以を教えてくれた。
「元々ここら辺は街道があったんだよね。情報が不足していたところに、旅人や薬屋さんが通ると情報を持ってきてくれた。なんとかして最新の情報を聞きたかったもんだから、その時から、見知らぬ人でも呼んでお茶しておしゃべりして迎え入れていた。そういう風土が今でも残っているんですよ。」
団体発足時はまだ、NPO法人という制度は広く知られていなかった。地域づくりが仕事になるなんてことも、一般的ではなかった。そして、普及し始めたばかりのインターネットで全国各地から若者が集まった。当時の地域の人々にとっては、疑問に思うことばかりだったかもしれない。でも、やってきた人を受け入れ、その活動を見守ってこられたのは、元々の地域の人々の気質があったからなのだろう。
そもそも、かみえちごのはじまりは、2つの施設管理の受託事業から始まった。ひとつは「くわどり市民の森」。ブナ林、雑木林、湿地などが混在する豊かな森だ。この場所は上越市の水源涵養保護地域に指定されているため、この森を通じて、市民に「自分たちが日々生活の中で使う水は、ここからきているんだ」ということを感じてもらおうとつくられた。そしてもうひとつが、中ノ俣(なかのまた)という集落にある、廃校を利用して作られた「上越市地球環境学校」だ。里山の自然や暮らし、生きる知恵を学べる体験型学習施設となっている。
それらの運営には、地域の人が関わった方がいいのではという話になり、地元民80人が発起人となり、団体が立ち上がった。そうして、かみえちごは常に地域の人々と共に歩んできた。里山の豊かな自然だけでなく、「地域の資源を活かす」ということを意識し、「この地域にしかできないことは何か」を常に問いながら、事業やイベントをつくってきた。
例えば、「夏のふるさと探検」というイベントは渡邉さんの原体験が元になっている。子どものころ、夏休みや土日に路線バスを使って祖母の住むこの地に遊びに来ていた渡邉さんの中には、「バスに乗る」「一人で行く」「自然で思いっきり遊ぶ」という記憶が色濃く残っている。そうした楽しかった体験を子どもたちにも味わわせてあげたいという思いから、このイベントは始まった。毎年夏休みになると、子どもたちはバスに乗って桑取谷にやってきて、木登りや虫とり、川遊びなど自然遊びを思いっきり楽しむ。
また、自然体験だけでなく、地域の人々との交流の機会もある。イベントの中では子どもたちに「おつかい」と言って、野菜や卵などお昼ご飯の材料を買ってくるというミッションが与えられる。それも、ただスーパーに買いに行くのではない。行き先は地域の方のお宅。地域の方にはあらかじめスタッフから「〇時に子どもたちが買い物に行きます」と伝えてある。そうして決められた時間に伺うと、地域の人は「よく来たね」と受け入れてくれる。子どもたちと接しているうちに「もっとやるかね」と買い物以上の野菜を持たせてくれることもある。小学生の時に、自分の親や学校の先生、近所の人以外の大人と接する機会はどれくらいあるだろう。都市化した街では、余計そういった機会がなくなっているはずだ。こうやって、「自然と近い場所で暮らしている人もいる」「見知らぬ人でも温かく受け入れてくれる人がいる」と実体験からわかることは、子どもたちにとって大切な経験だ。それも全て、かみえちごの人たちが、普段から地域の人々と深く関わっているからこそできることだろう。
(後編へつづく)
後編は、地域におけるかみえちごの役割や、地域の人々から学ぶ、これからの時代を生きていくために必要なスキルについて伺っていきます。
【投稿者】ろうきん森の学校全国事務局(NPO法人ホールアース研究所)小野亜希子