待っているわたし
いわゆる潜在意識を、3歳児と呼んで注目してる。大切にできてないのが自分でわかって仕方なくて、注目するたびに涙が出る。
10月14日の話のなか。なんでそんなに3歳児にこだわるんだろうね、その呼び方に拘るひと珍しい。幼少期に何か感じたことがあるのかもしれないね、と少しだけ掘り下げられた。
今日現在。もしかしてコレかな?を思い起こした。ずっと、取るに足らない話だと思っていたけど、割にしっかり覚えている。
夏。3歳ぐらいのわたしが被るための帽子を、決めているとき。親はわたしに意見を聞かなかった。わたしにはややボーイッシュな色や形、妹にはフェミニンな色や形の帽子。わたしはなんでこれなんだろう、お姉さんだからか。自分で選びたかったけど、妹に対してひがんだみたいになるのは嫌だし、色々ややこしくしたくないし。黙って思っている。
成長してから。女子をやることや、フェミニンなものを選ぶのがしばらくの間すごく苦手だった。未だに苦手感があったりもする。姉だからという縛りのせいにした思い込みが、思っている以上に自分を不自由にしてきたようだ。それとともに、人から決められたくないって気持ちもすごくある。
なるほど。
もうしばらく感じてみようかな。
こうやって自分の思いに繋がっていくと、今ひとつピンと来てなかった「自分を認める、褒める」の不足に、どう向かい合ったらいいか。なんとなく見えて、繋がってきそうだ。
潜在意識。3歳児が、そうやってたどり着くのを、たぶん待っている。