【美とは】私が考える美
こんにちは、明後日は宮崎出張。
この半年、1ヶ月に1〜2度は企業様とのお仕事で宮崎入りしていたのですが、時間の兼ね合いで個人のお客様サービスはお断りしていましたが(しっかり質の良いサービスをしたいので)
今回は個人のお客様サービスを少しだけ受ける時間ができました。
中々都合がつかない私ですが、何ヶ月も待っていてくれて”ずっと会いたかったです”と言ってくれるお客様の存在にとても感謝しています。
さて、今回は【美】について書きたいなと。
これこそが美だ〜とか、堅苦しい内容ではなく ”私の考え方”を書こうと思います。
まず私は 一定の決められた美に対して争うことには興味がありません。
分かりやすく言えば
多数決か協会が決めたことか知りませんが、世界的な美とは、目が大きくまつ毛が長く、爪先までキラキラとネイルをした人の事だ。のような決め事に興味がないという事です。(当てはまる人が悪い云々では無いです。)
理由は
人の美に限らず 物や空間なども美の形は一つでは無いと考えているからです。
”整っている形”はもちろんあると思います。(黄金比とかですね)
しかし、方程式通り整っているから=美 では無いし そもそも美は核があってこそだと思います。
地球で言えばマントルみたいな。花で言えば根っこみたいな。企業で言えばコンセプトみたいな。
人間で言えば らしさや、人間性や考え方に当たるかな。
その核との調和が取れていることが美なのでは無いでしょうか。
分かりずらいかも知れないですが、
前回お客様と行った京料亭で、20代の女性料理人の方がカウンターの向こう側にいました。
キリッとした目つきに迷いのない包丁さばき。
その方の指は 爪が短く 化粧も眉をキリッとかいた以外はナチュラル、まつ毛はあがっておらずマスカラも口紅も塗っていません。
しかし 料理人の彼女は それが美しいのです。
植物もそうで、薔薇や百合などの華やかさも綺麗ですが、空間によっては
素朴で小さい机にそっと飾る花は 道端に咲いているタンポポの方が美しくあったりします。
ちょっとそれますが、
アートもそのアーティストの核が表現されているからこそ 芸術で美だと思います。
絵が上手い人は五万といますし、真似して描く事も可能ですよね。
ですが アーティストというのは
表現したい事を自分の核をギューっと絞り出して描いているからこそ、生み出された作品は素晴らしいのだと思います。
美は人ぞれぞれ。
一重の方は二重には出せない 艶っぽさや凛とした雰囲気を纏っていますし、人の話をウンウンと聞ける優しい性格の人はカウンセリング業が向いていたりしますよね。(美とはちょっとまた違う話になりますが、理論は一緒です)
自分の核が花咲く場所や 核と調和する物がある。
私がスタイリングするときに ヒアリングを一番大事にしているのもこの考えを持っているからです。
女性は皆美しい ただ美しくなる方法を知らないだけ
女性に限らず、花も動物も全く同じ咲き方、顔はいません。
この名言も美しさはひとつではない事を指しています。
※余談ですが 核 を確立するには幼少期が大事だと個人的には思ってます。
私たちは小さい頃から 良い悪いで評価されてきて(テストや受験など)何にでも良い悪いで決める癖が付きがちです。
例えば、子供が長靴もはかず水たまりに入ってしまうのは
親からすれば「ぎゃー!やめなさーい!汚れるでしょ!」となりますが
子供からすれば「なんで空が反射しているの?このお水は冷たいの?なんでここに溜まっているの?」
となっているだけで知らないから、しただけの事かもしれない。
だから もう!お母さん大変になるでしょ!とヒステリックにならず
不思議だねぇ? なんでだと思う? と行為に対しての良い悪いではなく
行為をした理由を見て欲しいなと個人的には思います。
経験する事の考え方、感じ方など 幼少期はクリアだからこそ大人には出来ない創造ができるから。