娘9歳、今日も晴れ。
8年前に亡くなった娘の、9回目の誕生日だった。
あの小さくて可愛い命を産み落としてから9年経つ。
あの日私は確かに、母親になった。
心臓に欠陥があるのに、奇跡的に呼吸器も何もつけずに産まれた我が子が
一分でも一秒でも長く命を繋いでくれることを願った。
彼女は8ヶ月でその生涯を閉じてしまい、
いるかも分からない神様を恨み、ただただ悲しみに暮れながら生きていた私は
長らく娘の死のことを人に話せずにいる。
その当時付き合いのあった人には報告していたが
それ以降に出会った人たちには、娘の存在すら話せていない。
なぜか、を何度も考える。
一番は、相手の反応が怖い。
この話をしたときに、相手がどんな顔をするか。
場合によっては相手の反応に傷ついてしまうかもしれない。
それを伺いながら話すことがまず嫌だ。
そもそも、負の思いを相手に背負わせることが苦手だ。
わざわざ知らなくてもいい悲しいことを、一方的に背負わせるだけ、のような気がしてしまう。
でも仲良くなると、昔こんなことがあってね、と言う話をしたくなるときがある。
というか、過去の話をしたりすると、娘の話がないと辻褄が合わなくなったりする。
会話のどこかに注釈をつけられたらいいのに、などと思う。
反応はいらないけど※←ここ前提で話してください!みたいな。
それに、娘のことを隠しているようで、娘に罪悪感が湧く。
↑話したくなる理由は多分これが一番大きい。
私にはこんなに可愛い娘がいました!!
と言う話を、何も考えずにしたいんだとおもう。
最近やっと、少しずつ、何も知らない人に娘のことを話せるようになってきた。
この人なら話せる、知って欲しい、と思える人に出会えた、というのもあるのかもしれない。
でも逆にどれだけ仲良くても、話したいと思えない人もいる。
これからも私は話したり話せなかったりする。
でも娘のことを忘れたいとか、隠したいなんて気持ちはない。
色々難しく考えがちな母でごめんよ。
改めて、お誕生日おめでとう。
産まれてきてくれてありがとう。