社畜もいつか死ぬ②~図解 ザ・社会人
2011年11月3日発行 ロウドウジンVol.3 所収
死を隠蔽する社畜だが、その身に染み付いた死の匂いは払っても払っても拭い去ることはできない。ここではある社畜系男子を例に、そこに秘められた死のモチーフをえぐり出してみよう。
死の意匠をまとっていることに気がついていない社会人たち。その滑稽な姿を網膜に刻んでおこう。続いては「社畜と死」に関するコラムを掲載する。ここで描かれるのは最悪のケースだ。そこに解決策はあるのだろうか……?
C O L U M N : 社畜生道とは?
人間は死んだあと、どうなるのか? それは哲学・文学における永遠のテーマであるが、仏教における回答は「輪廻転生」(生まれ変わり)である。その生まれ変わりの行き先には六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)と呼ばれる六つの世界がある。しかし、これら六道のどれでもない輪廻の道から外れた存在、いわゆる「外道」も存在する。さらに現代の日本では「社畜生道」という七つ目の世界が存在が明らかになりつつある。現世で悪行三昧だと畜生道に落とされるそうだが、社畜的な振る舞いが激しいと社畜生道に落とされるらしい……。無間地獄である。あなおそろしや。気をつけよう。
社畜生は、苦しみ多くして楽少なく、性質無智にして、ただ働・働・働の情のみが強情で、上司後輩の区別なく互いに媚びへつらう反社会人以外の人間など生類をいう。その種類はすこぶる多い。住所は水陸空にわたるが、本所は会社内に在すといわれる。
下図:ウゲン・ナムゲン『六道輪廻図 (スィーベ・コルロ)』
R E A D I N G : 殉職はつらいよ~二階級特進の悲劇~
二階級特進― ―それは職務階級が明確な一部の職業において、殉職にともなって階級が特別昇進される慣習である。これは旧日本軍における慣例がもとになっているようだが、現代においてなお殉職の代名詞として使用されるほど有名である。しかしここは平和主義の現代日本、軍隊の代わりに現れた平成のソルジャーは社会人(特に社畜)である。彼らもまた殉職を繰り返しているが、そこに二階級特進はない。そのことに疑問を抱いた某一部上場企業が打って出た施策が「二階級特進制度の導入」だった。これにより過労死を功績として認め、死後の退職手当等に反映させようという試みだ。しかし、この試みは失敗に終わった。その時、会社に何が起こったのか? 今は亡き、先代の副社長に恐山のイタコの口寄せを通じて話をうかがった。
イタコ「んんっ……ああぅああぅああ……ぎゃああああ(絶叫)……カクン(首が倒れる)……びくんびくん……何が聞きたいのだ? そうか、あの悲劇の真実か。ふふふ。なかなか面白いところに興味を持ったな、見所があるぞ、若者よ。そうだな、どこから話せば良いだろうか。そもそも二階級特進制度というのは大きな過ちだったんだ。なぜなら根拠がないからだ。『二階級』の根拠が。当時の社長はそれに気がついていた。だけど指摘しなかった。社長はこの制度の導入に積極的だった。当時、弊社は過労死問題が連続して発生していたのだ。複数の裁判を抱える中で、弊社の社会的責任を考慮すると、何らかの形で過労死の予防策あるいはすでに過労死した社員に対するケアが必要とされていたのだ。だから社長は問題を認めながらも、このような制度を急ピッチで導入したのだ。問題に気がついていたのは社長だけじゃない。ふふふ、そう。私も気がついていた。問題というのは、すべての階級にとって二階級が平等ではないということだ。つまり平社員にとっての二階級と部長にとっての二階級は雲泥の差があるのだ。つまり、この制度は階級が上の者ほど有利なのだ。……実はだな、弊社には同族企業的な側面があって、社長のポストは代々一族関係者で継いでいるのだ。私が何を言いたいかわかるか? そうだよ。私が社長になるためには、いや社長を超えるためには、手段はたったひとつしかないのだ。……殉職だ。私は副社長だったから、二階級特進すると社長を追い越すことができる! そのことに気がついた時、それまで悩んでいたありとあらゆることがどうでも良くなったよ。口も聞いてくれない妻のことや、口もきいてくれない娘の由美子のことや、口もきいてくれないペットのポチの……って犬はもともと口をきかないな。がはは。とまれ、私は殉職したのだよ。しかしそれがまずかった。私の行動でこのウルテクがばれてしまったのだ。社員、とりわけ経営層は相次いで我先にと殉職し出したのだよ。気がついた時にはもう手遅れ。社員なんかほとんど残っていやしない。兵どもが夢の跡ってやつさ。ふふふ。どうだい、満足したかい? 愚かだろ。人間というやつは。やはりこんな制度は駄目なんだ。君たちはしっかり生きるのだ。若者よ」