郵便ポストの思い出~自己紹介で気の利いたことが言えない人に足りない決定的要素【メルマガコラムアーカイブスvol.2】
朗読パンダの大塩です。
団体で不定期に配信しているメールマガジンでは、これまで約50本ほどの演劇に関するコラムを掲載してきました。その中から、再読に耐えるものを厳選してお届けするアーカイブスの第2弾です。
再掲2本目は、2019年5月8日配信記事「郵便ポストの思い出」です。
今から4年前、東京芸術劇場公演に向けて準備していた頃の文章です。
外題に、今このコラムを掲載する意義を込めたサブタイトルを付記したことと、細かな字句訂正、若干の表現の改定以外は手を入れていません。
こんにちは。座付きの大塩です。
このところ腹立たしいニュース*1ばかりで、テレビのない生活環境の利点を消極的に感じております(昨年の引越しを機にテレビを見るのをやめました)。それで耳目に闖入してくる嫌なニュースについて怒りのコラムでも書こうかと思ったのですが、愚痴のはけ口にするのは良くないな、読んで前向きな気持ちになれるコラムの方が望ましいなと思い直しました。痛みを伴いつつも既存の枠組みに揺らぎをかける営為は、作品でやれば良い訳ですからね。
*1 執筆当時の2019年5月に、何かに怒っていたらしい。
そんなわけでゆるゆると書いて参ります。
先日、父方の従伯父が亡くなりました。田舎の小さな郵便局の局長を長年に渡って勤め、キリンラガービールを心底愛した人でした。私が小学生のころ、その従伯父が、郵便局舎建て替えの際、不要になった郵便ポストを小学校に寄贈したことがありました。石で出来た円筒形のポストで、歴史的な器物の保存と、子どもたちの郵便の勉強用にとの意図からでした。郵便ポストを眺めてどんなことが学べるのかというアポリアはさておき、ポストは校庭のバックネットの裏に置かれ(野球観戦なら特等席ですね)、寄贈者である従叔父の名前が記されていました。ところが、ほどなくそのポストの内部に蜂が巣を作り、危険だということで、ポストの周辺に近寄るなという御布令が出ました。それでもポストは孤独に耐えつつ、校庭の端っこの辺りで子どもたちを見守っていました。
このたび葬儀に参列するにあたって山梨に行った際(私にとってあくまでも「帰る」場所は東京ですので、生家は「行く」ところ。これは俵万智さんがそんなようなことを書いていたのを読んで、その慣習を真似するようになりました)、久々に母校・南湖小学校に散歩がてら行ってみました。ちなみに、私のライフワークである「富田村シリーズ」は、私の故郷へのコンプレックス(複合感情)が根底にある作品で、登場人物の名前はほとんど地元の地名から拝借しています。第2作「真面目報道番組にゅ~っス!」(朗読パンダ第6回公演、於・シアターグリーンBIG TREE THEATER、2018年)に大井宮湖(演・小松奈生子氏)というファンキーでキュートな(ファンキーだからキュートな)キャラクターが登場するのですが、「大井宮湖」は旧甲西町にある大井地区から姓を採り、下宮地地区の宮、それに私の生まれた南湖地区の湖を合わせて作った名前です。
卒業から30年以上が経った母校は、私たちが出来立ての新校舎と呼んでいた建物が旧校舎となり、裏門にも監視カメラが設置されるなど、だいぶ様変わりしていました。そして例のポストは、どこにもありませんでした。いつ、どのタイミングで撤去されたのはあえて調べませんでした。ひとつの時代が終わったと思えば良いのです。もしかしたら、また蜂が巣を作ったのかも知れません。蜂にだって生活がありますからね。
で、「校庭で子どもたちを見守る」及び「手紙」と言うと思い出されるのが、銀杏の木なのです。校舎建て替え工事のときには何度も移植されましたが、ずっと南湖小学校のシンボルとしてそびえ立つ老木です。
私が小学校1年生のときのこと。ある日の朝礼でした。深沢先生という教頭がいらしたのですが、「教頭先生のお話」において急に懐から取り出した巻紙を広げ、「今朝、僕の枕元に1通の手紙が届いた」と言っておもむろに朗読し始めたのです。その手紙は差出人である銀杏の木が、小学生の生活を見て思ったことを教頭に伝えるという体裁で書かれていました。細かい内容は覚えていません。ですがそのギミックは単純に面白いと思いました。それからも深沢先生は、ことあるごとに色々な仕方でお話をしてくれました。ステージ上の演台の前に胡座をかいてマイクを片手に話し始めたり、とにかく毎回何かを仕掛けてくるのです。普通であれば退屈な朝礼や集会も「教頭先生のお話」は楽しみで、気付いたらすっかりファンになっている。人の魅力の第一を「話の上手さ」に感じる私にとって、このおじさんこそ、人生で最初のアイドルでした。
ではなぜ先生の話は面白かったのか。ポイントは「準備」と「期待」です。先述の手紙のギミックなどに顕著ですが、事前に根多をしっかり仕込んでいます。いきなり面白いことなんて出来ません。365日24時間、感性を過敏にしてちょっとでも変わったものや面白いものを見聞きしたら、写真を撮ったりメモしたりしてストックを作る。24時間です。寝ているときも「夢」といういい根多があります。夢には、覚醒時には思いつかない状況や出来事が現れることがあります。誰しもたまには面白い夢くらい見ると思いますが、その面白い夢を起きたときに、すぐにメモして根多に使う慣習を持つ人と持たない人の差が、面白い人と面白くない人の差に繋がっていきます。
次に「期待」。これは「この人は面白そうだ」と思わせることです。相手が面白い人だと思ってくれれば、たいしたことない根多でも笑ってくれます。もっと言えば、何もしなくても笑います。アイドルのボケなんて、ギャグの精度からしたらとても褒められたレベルではないものが多いですが、ファンは大喜びで笑ってますよね。逆に、一度つまらない人というレッテルを貼られてしまうと、どんなに根多がよくても評価されません。最初から笑う意思のない人は、まず笑いません。また、笑いに限定しなくても、いい話をしてくれそうだと思えば、聞く側の姿勢が前のめりになります。聞きたいと思って集中している人に話すのと、聞く気のない人に話すのとでは、同じ内容でも全く受け取られ方が違ってきます。
では、どうしたら面白そうだと思わせることができるか。これに明確な方法があるなら私も苦労はしないのですが、凡庸さを避け、勇気をもって人と違うことをしてみることは必要条件と言えます。それが十分条件ではありませんが、人と同じことや世の中に溢れかえっていることを言っていては、埋没してしまうのは確実です。初対面の人に「こいつは何かやりそうだ」と思わせるのは難しく、かつ場合によってはリスクを伴うことですが、それを恐れていては藝事なんてできません。どんなに面白い人でも、常に、いつでも、100%面白いということはありません。名人にも失敗はあります。ただ、打率10割は無理だからと言って勝負を避けていたら、凡庸なまま終わってしまいます。滑ったり外したりすることがあっても、数多く仕掛けていくしかありません。そして、仕掛けるためには事前の準備です。
オーディションで目立てないという人、アドリブが苦手だという人に一番申し上げたいことは、「準備して、何かしら仕掛けてますか?」ということです。
そんなわけで今回は、郵便ポストを贈った従伯父から、手紙で思い出す私の最初のアイドル・深沢教頭先生、そして母校・南湖小学校の思い出を綴ってみました。この手紙が皆さんの心に届きますように。
2019年5月8日
大塩竜也
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