「人を楽しませたい」病なのかも。


毎朝シャワーの蛇口を捻って、冷たい水がお湯が出るまでの間。たった30秒間の間。私は自分の子供の頃を思い出す。我が家は非常に貧乏で、よく水道が止まったり電気が止まったりガスが止まったりした。ライフラインが常に不安定だった。

ガスが止まるとお湯が出ない。お風呂の時間はとても大変だった。お母さんがお風呂に水を貯め、小さなガスコンロで小さな鍋にお湯を沸かし、お風呂に足し。私は体を洗った。夏は結構平気なのだけど、冬は地獄だ。お湯が沸くまでの間、水風呂で待機していた。とてつもなく寒い。歯が鳴るほど寒かった。とても辛かった。

一番大変なのはお母さんだった。我が子を水風呂に入れ、小さなガスコンロにお湯を沸かし何度も往復。あの頃のお母さんはいつもどこか疲れていて、いつも不満そうな顔だった。ポンコツなお父さんの悪口を言うお母さんの顔をたまに今でも思い出す。心労も体力も限界だったに違いない。海外で子供を産み、まさか生活も不安定だなんて。よく私を見捨てずに育てくれたなと感謝をしている。 

小学生の私は私なりにお母さんに恩返しをしたいと思い、あの手この手を使った。長年貯金していたお小遣い(200円)くらいでお母さんに口紅を買っても喜ぶどころか「私、この色好きじゃない」と言われ使われなかったり。皿あらいをしても「汚れている」と言われたり。何をしてもダメだった。お母さんは全然喜んでくれない。

小学校では私はめちゃくちゃ虐められていた。私の唯一の楽しみが家に帰って日本のお笑い番組をビデオで見ることだった。どんなに辛いことがあってもゲラゲラ笑って、辛いことを笑い飛ばすのが日常になっていた。何度も同じビデオを見てゲラゲラした。

私の中でやっと合点がいった。疲れているお母さんを喜ばせる為には「笑わせるしかない」と小学生の私は思った。私は漫才が大好きで、大好きな漫才をしてお母さんを笑わせようと作戦を立てた。とにかく爆笑問題や笑い飯やの漫才を一字一句全部暗記をした。ひたすら暗記した。何度も練習し、「よし!お披露目ができる!」と自分で納得した時。「お母さん、〇〇日の就寝前は時間を作ってくれ、見せたい物があるから起きてて」とお願いした。

いよいよ本番当日、22時。妹もお母さんもウトウトしている時間に自分が暗記した人の漫才を披露した。笑うどころかお母さんは明らかに感心がない顔でずっと一人で漫才をする私を見ていた。あんな私がゲラゲラ笑った漫才を忠実に私にやっても響かない。1nanoも笑わない。2分の一人漫才は終わり、お母さんはこの何週間か練習した私の努力も知らずに「はーい、寝まーす」と言い照明の電源オフに手を伸ばした。 

ま、待ってくれ!!!!私はまだあなたを笑わせていない!!!!

とっさに目の前にある毛布を肩にザッとかけて、右手で毛布を抑え左手で背中に回し毛布を揺らしながら「AKIRA」と言った。アニメAKIRAの名シーンを最低のクオリティで再現した。そしたらお母さんが大声で笑った。凄く嬉しかった。「あなた天才!はーい、寝ますよう〜」気づけば部屋は真っ暗になり、私はベッドに潜り込んで嬉しさのあまり上手に寝れなかった。妹のいびき声が聞こえてもずっと起きていた。「やったー、笑った、、、!」と興奮で満ち溢れいて気がつけば眠っていた。

この日の味わった満足感が私の中にずっと残っている。とにかくあの日笑ったお母さんの笑顔が嬉しかった。今大人になっても「人を楽しませたい」と言う気持ちが強い。ずっとどうやって人を楽しませるかを考えている。人を楽しませる為に私は話術だったり絵だったり音楽だったりを毎日勉強している。もはや私は「人を楽しませたい」病なのかもしれない。私に何ができるかはわからないが、とりあえず私なりにやろうと思う。昔は辛そうなお母さんを楽しませたいと言う気持ちが強かったけど、今は周りの人を楽しませたい。そしていずれもっと力をつけて、もっと「楽しい」を遠くに届けたい。 


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