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『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』(小川一水)が最高

ドーモ。マーズです。

先日刊行された、SF長編『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』(小川一水著、ハヤカワ文庫、2020年)がめちゃくちゃ最高なので感想を書く。以下、同性愛に関する記述が含まれるので注意されたし。

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ツインスター・サイクロン・ランナウェイ (ハヤカワ文庫JA) 小川 一水 https://www.amazon.co.jp/dp/B085TF4586/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_QKIEEbVV9XAK2 @amazonJPさんから

舞台は西暦8000年代半ば(暦も変わって西暦でなくなっているが)、ガス状惑星に住む「周回者」(サークス)と呼ばれる人びとの話。16の氏族に分かれている彼らは、「昏魚」(ベッシュ)と呼ばれる、鉱物製の巨大な魚めいた生き物を獲ることで生活が成り立っている。

その昏魚を獲るための船が、「全質量可変粘土」(AMC粘土)によってほぼ全体が構成される漁船である。AMC粘土は想像力によって自在に変形(デコンプ)する材質であり、船を動かすためには操縦を担当する「ツイスタ」だけでなく、船の変形を担当する「デコンパ」という二人のクルーが必要になる。そしてサークス社会では、男女が夫婦となって漁に出る決まりになっていた。

しかし、想像力が豊かすぎるあまり不出来なデコンパと見なされる超大型美女「テラ」は、夫となり相棒となるツイスタを求めるお見合いに、もう6回も失敗しているのだった。6回目も振られて意気消沈する彼女のところに突如現れたのが、謎の小柄銀髪少女、「ダイオード」。彼女はどこの氏族出身かも名乗らず、突如テラの船にツイスタとして乗せてくれと申し出るのだ。

テラのピーキーな想像力と、それを使いこなせる技量の持ち主ダイオード。彼女たちが出会ったことによる化学変化が、伝統と慣習に縛られた頑迷な氏族社会に、風穴を開ける。そして二人の少女は、互いの実力を尊敬し、互いの人格を理解し、尊重し合い、少しずつ、あるいは時に大胆に、距離を縮めていく...…というような話です。

この作品の最大の見どころは、何よりも、百合。この作品は二人の恋愛を中心軸として書かれている。ただし、ガール・ミーツ・ガールだ。最初はお互いを理解せず、一方的に距離を捕ったり、言い出せないことがあったり、自分のコンプレックスを気にしたり、という色々な障害がある。

また彼女らを取り巻く外部にも、女同士の漁はけしからんと言って出てくるセクハラオヤジ長老や、女同士で漁に出るのかという世間からの白い目、ダイオードを連れ戻そうとする追手……といったさまざま障害に阻まれる。そこをダイオードがガーンと強く、時にはテラがおっとり、二人で乗り越えていくのである。

サークス社会がまた頑迷固陋で、女は反射能力に劣るからツイスタにはなれない、とか言うし、氏族によっては強制的にデコンパにさせたり、子供を生むために24時間監視して肥らせるプログラムに参加させたりする。また漁に出るとき、女(つまり妻)は着飾って夫の目を楽しませる。女だけがだ。夫婦でないと漁船に乗れないっていう時点で古い。8000年代半ばなのに昭和の日本だ。それを書くのが狙いなんだろうけど。

特に好きなのはやはりメインであるテラとダイオードの関係の発展だ。最初はもちろん見ず知らずの他人、しかも登場時にダイオードは自分の事情を一方的にしゃべり、だからツイスタにしてください、でも断られたら諦めますから、と宣う。そして受け入れられてもダイオードには相棒となるはずのテラと距離を詰めるつもりがない。出漁前の話し合いもなし、漁成功時のお祝いもなし、別れの挨拶もなし。でもそれは彼女がとても緊張していたからなのだ。それをテラが見抜いたために、二人の距離は大きく縮まった。

初の網打ちで、一人帰ろうとするダイオードを慌てて追いかけて、行きつけのバーに誘ったテラだが、ダイオードの内心をズバリ言い当ててしまうと、彼女の緊張の糸はもう限界で、肩を抱いて宥めていたテラが、なんとなく彼女の細い肩を抱き寄せると、ダイオードの方も力を抜いて体を預けるんですよ。もう!もう! # 彼はここで達した じゃないですか!三日前に会ったばかりなのにそこまでいっていいの?

その後お偉いオッサンたちに妨害を受けたり、追手が来たりして色々ありますが、類まれなる才能を持った二人の漁師が、お互いを最もうまく使いこなせる相手に巡り合ったのだから、そりゃもう大漁大漁。しかしそれがよくなくて、長老たちに目を付けられ……と言う感じだ。まあ、後は実際に読んで、俺と一緒に尊死してくれ。


本作品は百合SFアンソロジー『アステリズムに花束を』(大森望編、2019年)という、この世に生まれてきたことが祝福されるべき短編集のなかに、同タイトルの書き下ろしとして収録された。そこから膨らませて長編として書き下ろされたのが本作となる。

小川一水のジェンダー観はこの十年くらい(天冥のⅠ巻あたり?)からはっきりと変化してきて、今ではジェンダー観念に対して敏感にアンテナを張っているようだ。先日復刊した『博物戦艦アンヴェイル』(2020年)ではえらい違いで、これは元本は10年前なのだが、主人公の女の子が主人公の男の子にセクハラされまくりなんですね。当時はこれが許容される社会だったんだ、というのがめちゃくちゃ衝撃だった。10年ひと昔。

例えば『天冥』では、読み進める人に「鬼門」と称されるⅣ巻では、セクサロイドの住む天体で、様々な性行為が展開される。通常のセックスでは飽き足らず、次第に実験的になり、また哲学的になり、「性愛とは何か」を突き詰めていく。他の小川作品にも、認知能力が拡大したために、様々なセックスが試みられる短編があった気がする。どれかの短編集。

他にもⅠ巻・Ⅷ~Ⅹ巻のヒロイン(?)の一人であるアクリラ、また同じくⅢ巻のアダムスにも注目だ。彼らは遺伝子改造により酸素呼吸を必要としなくなった「酸素いらず」(アンチ・オックス)という人類の亜種なのだが、彼らの性別は四種あり、まず男女の大別と、その中で男女寄りの小別がある。つまり男らしい特徴のある女、女らしい特徴のある男、が性として確立している。これはアンチ・オックスだけの話であり、他の集団からすると、知ってはいても奇異に映る。また代謝は電気で行うようになったので、体内電気でコイルガンを放つこともできる。

天冥のセックスとジェンダーで忘れてはいけないのは、イサリだ。彼女は「冥王斑」という累代の疫病に侵された集団「救世群」(プラクティス)の、議長の娘の一人だ。冥王斑を持っていない人との接触は、厳に戒められている。しかしあるとき、社会が大きく変わった。まず宇宙人由来の技術により、プラクティスは人間を全て「甲殻化」してしまった。宇宙人のキチン質の虫めいた体を参考にしつつ、人間の身体能力を強化するために、人型甲殻生物のような存在にしてしまったのだ。

彼らは人類の敵となった。それから複雑な紆余曲折があり(ここは重大なネタバレになる)、長い長い眠りから目覚めた甲殻少女イサリは、人間の街に出る。彼らプラクティスの甲殻人間の脅威はほぼ忘れられていた。イサリは複雑な紆余曲折のために、慣れぬ人里でトラブルを起こし、冥王斑を拡散させてしまった。そこを救ったのが医師のカドム・セアキであり、主人公だ。他者がイサリを気味悪がり、怖がり、攻撃しようとするところを、カドムは彼女を普通の人間として扱おうとする。イサリは彼に惚れるが、当然思いは叶わない。

しかし様々な激変(これもネタバレ)を経て、カドムとイサリはついに恋仲になり、(ピーーー)までする仲になる。

一方で、カドムの幼馴染が、上述したアンチ・オックスのアクリラだ。彼は女性的男性の性を持っており、だれが見ても輝くような美少年だ。彼も昔からカドムを好いているのだが、カドム君は鈍感なので。

そしてまた同様に、さまざまなネタバレを経て、カドムとアクリラもまた(ピーーー)することとなった。

当然三角関係が起こる。しかし、「人間」と「改造電気人間」と「甲殻人間」が、ノーマルな人間のように「三角関係」になる。これが注目すべきところだ。小川一水の『天冥の標』は「人間の定義」をひたすらに広げ続ける作品だった。こんなものでも人間なのか、いや人間でいいんじゃないか、と。じゃああれは?と。人間と人間意外が愛し合えるなら、人間どうしで愛し合っていけないわけがない。性別なんて小さな違いだ、と。


SF漫画『鋼の錬金術師』(荒川弘)で、主人公エドワードが言っていたセリフを思い出す。弟のアルフォンスは、二人の無謀な錬金術の結果、全身を失って、魂が入っただけの鎧の体になってしまったのだ。そして同様に、魂だけで動く鎧の敵に対して、「お前たちを人間じゃないって言ったら、俺は俺の弟も人間じゃないと認めることになる」と言ったセリフを。

人間の定義なんて一定じゃない。かつては身体・精神障碍者が、今では性的少数者が、「まとも」から外れていた。これからも、人間の定義は変わり続けるだろう。『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』では、現在発生している男女差別を、角の立たない形で書くために、6000年後の未来世界を舞台にし、『天冥の標』では種々様々な人間の姿と愛を書くために、時代も地域も文化もバラバラないくつもの場所と状況を用意した、小川一水作品は、SF小説そのものをガジェットとして用いる、人間に関する考察なのだ。

君もテラとダイオードのイチャイチャ具合を存分に楽しんでくれ。百合はいいぞ。そのうち癌にも効くようになる。

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