コロナ禍の一年で失ったものって?-人と会うこと-

●久々ですね。

大見え切った(ように見える)投稿から一年が経過した。
奇しくも新型コロナウィルスが世間を騒がし始めたころと時期が一致するが、当人が大変な目にあったとかそういうわけではない。それなりに影響を受けながらも、比較的平和に過ごしてきたほうだと思う。

とはいえ、生活は一変した。
もともと出歩くほうではなかったが、圧倒的に家で過ごす割合が増えた。
買い物は近所のスーパーで済ますし、たまに最寄りのホムセン、ちょっと変わったものはAmazon、もっと変わったものはBangoodとかAliexpressという徹底外出拒否。これで一応生活は成立する。電車なんぞ、一昨年の忘年会以降乗ってないよ。

そして、正直「これはこれでいいんじゃないの、出歩く時間が削減できて」と納得している自分がいるから恐ろしい。
ずっと家に籠っているというわけでもなく、田舎の”密でない”地の利を生かして、空き時間でランニングしたり、自転車乗ったりしてそれなりに「活動した」感も享受できている。

なんだろう 何か失っただろうか?

●失ったもの

人と会う時間(と理由) かなと思う。
とにかく「人と会う」の障壁が上がった。
人の生き死に、結婚式くらいしか、ちょっと遠方の人間と落ち合う理由がなくなった。

そんなに人と関わりたいの?
ZOOMでいいじゃん、リモートでいいじゃん、ごもっとも。
ただ、やっぱりリモートって特殊で、作られる時間の種類が違う。

①コミュ障寄りのマインドでは、ちょっと会わない?よりもきっかけづくりが重い(不慣れなだけかな)
②開催するのに目的の明文化が必要(この時点で無駄話しづらい)
③場の空気で「なんとなく」のアクションがない(偶然得る情報がない)
④同じ空間を共有しているわけではないので、沈黙が刺さるストレス
⑤ホストとゲスト になりがち。

●得ていたもの

逆説的に言うと、”会う”ことを口実に、↑のようにならない時間を得ていたし、欲しかったのだろうと思う。特に貴重だったのは③④の裏返し。コロナ禍以前に考えたこともなかったけれど。

●いつまで続くのかね

ワクチン接種云々の話が始まったけれど、正直なところ急激に世界がもとに戻るとは思えない。人と会うことの障壁は上がったまま、少なくとも向こう数年過ごすことになるのではないだろうか。
とはいえ、ちょっとづつ解禁される(だろう)「人と会うこと」について、考えがめぐった金曜日の早朝のあれこれを手習いまでに書いてみた。

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