雪桜ちょうさん2

心の痛みは、人それぞれ。

このところ、苛めや虐待がニュースを騒がせていますが、正直、「線引き」のしにくい問題では無いかとわたしは思っています。傷つけられたほうの痛みは、傷つけた当人を含め、他人には理解できないからです。

例えばわたしの場合、実父の過保護・過干渉・精神的DVに苦しみ、傷つき、小さい頃から怯えて顔色を窺い、自殺を考えたり、実行して失敗したり……と色々ありましたが、果たして、では、実父は毒親で、わたしを虐待していたのかと問われると、疑問符が浮かびます。実父は愛情表現を間違えたのだと思っているからです。実父の父=祖父は、実父が幼いうちに逝去したので、モデルとなる父親像が無く、「父親らしさ」を実父なりに模索したのかもしれません。結果、自分の信念に基づいて子供を支配することが愛情だと考えたのかもしれません。

でも、わたしがズタズタに傷ついたのも、事実なのです。わたしは幼い頃からナイーブな方だったので、毎日矢面に立たされている実兄を見て、親に逆らったら最悪、殺されると思いこんでいました。日記に、「明日はもっと最悪な日になるから、今日はきっとマシなほう」と毎日綴るくらい、病んでいました。小学2年生くらいにはもうこの日記内容ですよ?

勿論、わたし自身に手をあげられたことは殆どありませんし、世の虐待サバイバーさんからすれば「甘い」「そんなの何てことない」「まし」と言われてもおかしくないと思います。でも、わたしは、つらかったのですよ。本当につらかったんです。その「つらさ」「傷」は、比較できるものではないし、受けた当人しか分からないと思うのです。「わたしの方がつらかった」とご自身の不幸を並べて、比べたがる人が理解できません。

「あなたは、つらかったんですね」

これは言えます。どんな毒親であれ、どんな生育環境であれ、その人にとって、しんどくてつらいもの、傷つくものだったことには、理解を示せます。わたしの周囲には、自分を含めて、機能不全家族のもとで育った人が多く、成人後に、発達障害を抱えたり、精神を病んだりしている人もいます。わたし自身も心を病んでいます。

自分に危害を加えた相手を許さない、もアリだと思います。距離を出来るだけ置いたり、時に縁を切ったりも、必要なことだと思います。モラハラ、DV加害者に話し合いは通じないと思っていいと思います。中には「親だから」許せ、とか、成人したら害なしてきた人の面倒をみろ、とか、仰るかた(概ね外野)もいますが、自分を大切にしてくれなかった人を大切にする意味がわかりません。傷つけられて育った人は、出来るだけ傷つかない環境、傷を癒せる環境を確保して欲しいと思いますし、「よく耐えて生きてきてくれたね、有難う」と伝えたいです。

ですが、先に述べた通り、心の痛みは本人にしか分からないのです。それを比較する意味も必要も無いと思います。知り合った人がもし辛い経験を抱えていたら、出来るのは、そっと寄り添うことだけではないでしょうか。もしそういう人が、辛かった過去を自分語りし続けるようなら、何度でも、うんうんと黙って聞いてあげることが、その人にとって癒しになるのではないでしょうか。「あなたはとても辛かったんだね」と認められることで、その人は傷ついてきた過去を、心を、癒そうとしているのではないでしょうか。決して「あなたはわたしよりましだ」等、比較は出来ないと思います。それがどんなに事実であっても、受けた心の傷は計れませんから。ただ、聞く方も相応の覚悟と精神力が必要になるとだけは申しておきます。引きずられないようにお気をつけてくださいね。

中には「児相に通報すればいい」というご意見もありますが、児相は子供を守りきれないと聞いた事があります。親が子供を取り返しにきたら、返さざるを得ないとか?(この辺りはお詳しい方にお任せします)。
知らない子供に大人が接触すれば不審者として捕まる世の中ですから、今の子供たちはSOSを出せる相手が限られていると思います。どうか、子供たちのSOSを受けられる立場の方には、アンテナを広く持っていただきたいし、悲しい事件に繋がるような対応はなさらないで頂きたいと心から願うばかりです。

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