冬の林

読書感想文、好きでしたか?

自分は嫌いではありませんでした。小さい頃から何かしら書くことが好きで、冗長な駄文を延々と書き続けていられる子供だったからです。でも、多くの方は、苦手だったのではないでしょうか?

とある切欠で、最近、そう思うようになりました。

考えてみれば、文章の構成(起承転結、序破急)については割と早くに学校で学びますが、文章の書き方というものは教えて貰えなかった気がします。
教えられていないのに書けというのは、無理な注文だと思います。

今は小さい頃から英語を教えているようですが、まず母国語をしっかり書けて読めて、話せるようになってから、ではないのかなあと、わたしは思います。というのも、わたし自身が英会話教室に通ってみて、「コミュ障で、日本語で話が出来ない人は、英語でも話が出来ない」と気づいたからです。コミュ障というのは勿論わたし自身のことです。英会話教室で毎回黙り込んでしまっていたのです。

わたしがコミュ障になったのは、幼い頃、懐いてよく遊んでもらった親戚に「黙れ、煩い」といきなり叱責されたことが始まりです。今まで話を聞いてくれていたと思っていたのは間違っていたんだ、と幼いなりにショックを受け、黙り込みました。その後「今日は静かだね、偉い偉い」と褒められ、以来、何も言えなくなりました。その分、文章で、思うことを書き綴って発散していたようです。物心ついた頃から、ずっと文章や絵で表現を楽しんでいました。

学校に行くようになってからは、故父の「友達作るなキャンペーン」もあり、人と直に話をすることが困難になりました。なので、文通友達を作りました。こうして文章に触れ続けてはいたのですが、ある小説指南書を読んでから、自分の文章力の無さに気づきました。思ったことをだらだらと書いているだけでは、いけないのだと知りました。そこで、その本を読みこんで勉強しました。諸事情で失ってしまった指南書ですが、今でも読み返したく思います。あれ以上に自分の心にぴたりときた指南書は無いです。

わたしの場合は指南書との出会いがありましたが、普通は学校で学んだことが全てですよね(塾や家庭教師などもあるかもしれませんが)。でも学校では受験勉強の方が重視されていたので、基本的な文章の書き方を教わった記憶はありません。なのに、小学校から読書感想文の宿題だけはあるのです。不思議に思いませんか? 後々大学受験でも小論文の書き方を教わりますが、その時期まで文章の書き方を教えて貰える機会がないのです。教わっていないのに、書け書けといわれても、困りますよね。

今はどうかわかりませんが、わたしの頃はそうでした。
読書感想文のせいで、作文が苦手になったというかたが、ちらほら散見されます。

指南書を失ってから、大事な人に心の筆を折られ、わたしの文章力はまた底辺レベルに落ちてしまいました。文章を教えてくれる場所があるなら教わりたいです。書くことを楽しめなくなってしまったので、もう手遅れかも知れませんが……。

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